小説を読む「趣味」は「生産的」ではない? 資本主義社会の「呪い」を解毒する壮大なエンターテインメント
誰にも侵されないはずの趣味を守る
そして内海と外﨑の進路を決定的に分かつのが、内海が放った「読むだけじゃ駄目なのか」という言葉だ。きっかけは外﨑の高校進級を左右する小論文コンクールだった。内海は小論文を書くにあたって、小説を読んで培ってきたものを成果として還元することを差し迫られる。いい小論文を書くために、あるいは成果を求めて小説を読んでいたわけではないのに。内海の内なる葛藤は「読書」という誰にも侵されないからこそ安らぎとなっていた趣味を、学歴や金銭を重視した現実の社会に差し出すことへの抵抗に他ならない。 また、この苦しみは読書に限った話ではない。異なる趣味を通じて似た感情を味わったひとも多いはずだ。好きなことを好きなようにしたいだけなのに、「将来につながらない」と大層な言葉で否定されたり、「意味はあるの?」と行為の価値を勝手にジャッジされる。そして問題は、「意味など関係ない」と反論こそできても、私たちが生きている資本主義社会にコミットした理屈を一方的に振りかざされることで、ひょっとしたら時間を無駄にしているのではないか、もっと生産的な趣味があるのではないか――と、呪いにかかってしまいやすいところにある。 本作で野﨑まどが試みたのは、その呪いにかかってしまい「読むだけじゃ駄目なのか」と吐露するに至った内海の解毒――すなわち、「小説を読むだけ」の行為がきわめて生産的なものだと示す、小説を読む幸せを胸張って肯定できるようになる理屈の提示だ。そして理屈を提示するために必要な論理の構築に、〈小説作家〉野﨑まどとしての手腕が存分に発揮される。内海が見聞きしていく宇宙の起源から原子のふるまい、生命の進化や税金などなど、小説に関係なさそうなあらゆるジャンルの知見がひとつにつながっていき、「読むだけじゃ駄目なのか」に対する壮大な結論を導き出す。その過程は間違いなく、野﨑まど作品でしか味わえない楽しさと興奮に満ちていた。 そして壮大でありながら読者の胸にまっすぐ響くのは、読むだけでいいに決まっている、読む側の姿勢に対する自信が作品に根ざしているからだろう。読者はただ読んでいれば存分に楽しめる。新たな景色をみることができるはずだ――思えば野﨑まど作品の数々は、それを自らの作品をもって「書く側」として証明しようと試みてきた歴史の積み重ねなのかもしれない。徹底して読者を楽しませようとする姿勢からは一流のエンターテイナーとしての吟味も感じさせる。だから本作は「小説」がなんたるか、小説だからこそできる自由自在な語りや展開によって示すと同時に、現実を気にせず娯楽を摂取するよろこびを思い出させてくれる、極上のエンターテインメントでもあるのだ。野﨑まど作品に通底する「読むだけでいい」自信に楽しませられるだけでなく、勇気づけられもするに違いない。 野﨑まど(のざき・まど) 1979年、東京都生まれ。麻布大学獣医学部卒業。2009年『[映]アムリタ』で第16回電撃小説大賞「メディアワークス文庫賞」の最初の受賞者となりデビュー。2013年に刊行された『know』で第34回日本SF大賞・第7回大学読書人大賞それぞれの候補、2021年『タイタン』で第42回吉川英治文学新人賞候補となる。2017年テレビアニメーション「正解するカド」でシリーズ構成と脚本を、2019年公開の劇場アニメーション『HELLO WORLD』で脚本を務める。「バビロン」シリーズは2019年よりアニメが放送された。
あわい ゆき(書評家・ライター)