旗手怜央が振り返るわずか4年間の「FW時代」だがそれがセルティックでのゴール&アシストに生きている
旗手怜央の欧州フットボール日記 第30回 セルティックでの今シーズン、ゴール前での得点やアシストが目立っている旗手怜央。これはかつてFWとしてプレーしていた大学時代の4年間が生きているという。「自分がずっとFWだったと錯覚するほど強烈だった」という順天堂大学時代を振り返ってもらった。 【画像】旗手怜央のセルティックほか 欧州サッカー今季注目16クラブの主要フォーメーション ◆ ◆ ◆ 【大学4年間、自分はFWだった】 今季のリーグで、たとえば8月25日のセント・ミレン戦(第3節)の33分に決めたゴールや、10月19日のアバディーン戦(第8節)で24分に決めたゴールは、かつて自分がFWとしてプレーした経験が生きている。 セント・ミレン戦は、味方のポストプレーに対して咄嗟に走り込み、左足を振り抜いた。アバディーン戦も(古橋)亨梧くんからのクロスに合わせて走り、DFの前に出るとGKの逆を突いた。いずれもワンタッチで決めたゴールだった。 セルティックで4シーズン目を迎え、今ではインサイドハーフでのプレーがしっくりきているが、以前の自分はFWというポジションに強いこだわりを持っていた。川崎フロンターレにもFWとして加入したように、ストライカーとして評価されて、プロへの道をこじ開けた過程にも起因していただろう。 だが、ふと思い返してみると、FWとしてプレーしたのは、大学の4年間だけだった。 高校時代はもっぱら左サイドハーフやトップ下が主戦場で、FWとしてプレーする機会はなかった。フロンターレに加入してからもウイングや2列目が多く、小林悠さんやレアンドロ・ダミアンが前線に名を連ねた当時のチームで、自分が1トップを務める機会は皆無に等しかった。 ただ、プロになってからしばらくFWという自負が拭えなかったのは、それだけ大学時代の成功体験が大きかったように思う。 静岡学園高校から順天堂大学への進学を決めたのは、そこがプロへの近道だと考えたからだ。当時は、フロンターレでもチームメートだった長谷川竜也さん(北海道コンサドーレ札幌)、名古新太郎さん(鹿島アントラーズ)、米田隼也さん(V・ファーレン長崎)といった先輩たちが、静岡学園高から順天堂大に進んで活躍していた。高卒でプロになれなかった自分も、尊敬する先輩たちと一緒にプレーすることで、プロへの道を切り開きたいと思っていた。