腫瘍内科医の私が、患者さんに必ず尋ねる「病気以外」のこと…返答によって治療法が変わることも
生活全体を診ながら治療を選ぶ
――患者さんと一緒に意思決定できた印象深い事例はありますか。 ある転移性乳がんの患者さんは、「髪の毛の抜ける治療は絶対にしない」という信念をもっておられました。脱毛を伴うけれども、抗がん剤治療をすれば生存期間の延長につながる見込みがあったため、抗がん剤を強く勧めましたが、患者さんの信念は変わりませんでした。結局、私たちはその信念を尊重して抗がん剤は使わず、それ以外の治療やケアをできる限り行いました。悩ましい選択ではありましたが、この患者さんとはそれまでのコミュニケーションで信頼関係を築けていたからこそ、お互いの意見をぶつけ合うことができ、抗がん剤治療をしないという決断にお互いが自信をもって向き合えたと思っています。 ――コミュニケーションではどんなことを心がけていますか? まずは、「聴く」ということを心がけています。腫瘍内科の治療では、治療をしても治るわけではないといったつらいことを伝えないといけない場面や、先ほども話したような、やるかやらないか迷うグレーゾーンが多いです。難しい話をするときほど、私たちは説明一辺倒でなく、できるだけ患者さんに思いや希望、疑問を口にしてもらうようにしています。 私は初診のときに必ず、患者さんに「趣味は何ですか」と質問します。患者さんとの距離を縮め、緊張をほぐす意味もありますが、その人が何を大切にしているかによって治療法が変わることもあるためです。こういう趣味がある人だから、同じ効果ならば生活に影響が少なそうなこちらの薬を使おう、といった具合です。また、治療が中心の生活になると、患者さんはどうしても病気に集中しようとしてしまいます。でも、私たちが治療をする究極の目的は、できる限り患者さんの生活ががんによって乱されないようにすることです。患者さんの趣味など生活にも目を向けるのは、そういったメッセージを伝える意図もありますし、患者さんから「コンサートに行きました」「旅行に行きました」と聞くと、治療する私たちの励みにもなります。 ――それが「オン・ココロ・ジスト」としての心がけですね。 術前抗がん剤治療を受けたある患者さんから、「趣味を聞かれたときには驚きましたが、病気だけではなく、人として見てくれているんだと感じてうれしかったです」というお手紙をもらったことがあります。心を通わせることができたのだとこちらもうれしく思いました。 今の医療で必ずしも治せるわけではないがんも多く診る中で、私は、「医療は結果だけではない」と思うようになりました。がんが良くなったか悪くなったかだけでいえば、良くならずに亡くなる患者さんもいます。それでも、「この病院で診てもらってよかった」と言われると励まされますし、腫瘍内科医冥利(みょうり)につきる瞬間でもあります。
むこうはら・とおる
1997年、大阪市立大学医学部卒業。大阪市立総合医療センターでの内科研修後、大阪市立大学病院を経て、米ダナ・ファーバーがん研究所に留学。帰国後、国立がんセンター東病院(当時)、神戸大学付属病院腫瘍センターに勤務し、2017年から国立がん研究センター東病院腫瘍内科長。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医・指導医。