日本好きラトビア人が感動した「日本人の時間感覚」。ただし“サービス残業”だけは例外!
え?? 5分も早いじゃん。全然遅れてないけど。 急いでレジャーシートを敷いて、みんなにお酒を配って、「ギリギリですが予定通りに乾杯に間に合いました! それではかんぱぁーい!!」。 ただの友達との飲み会が公式セレモニーかと思うぐらい、決まったスケジュール通り行うために全員が動くことに驚きました。いや、ごめん、外国の公式セレモニーは普通に遅れます。決まった時間に開始したらすごい。 ゆっくり桜を眺めながらお酒をチビチビ飲んでるうちに暗くなってきて、花見はお開きに。そこで過ごした全員が立ち上がり、みんなで使ってた場所をたった3分ほどで片づけ、すぐに帰宅できる状態になってました。 みんながお互いの時間を大切にしたおかげで、参加した方々が気持ちよく時間を過ごし、無事に帰宅でき、いい思い出をたくさん作れた一日になりました。
人の時間には大切な価値がある
初めてのお花見以降も7年間ぐらいの間に数えきれないほど、日本人が身の回りにいる人の時間を熱心に大切にしてる例を見ました。その一方で、時間の価値を大切にしているとは言い難い文化もありました。そう、いわゆる、「サービス残業」です。 お金を稼ぎたい場合を除けば、残業そのものはうれしいことではないと、ほとんどの人がそう思うでしょう。 仕事が終わったら自由に家族や友達と時間を過ごすとか、趣味に時間を使った方が楽しいと思います。
何かの理由で仕事の量が増えたり、何かがうまくいかなかったり、円滑に業務を進めるためにいつもより労力と時間を掛けなければならないときはあります。それは仕方ないと思います。 会社の利益や成功のために家族・友達・趣味の時間を削って努力することも、時には必要なことです。 しかし「サービス」が最初に付くと意味が激しく変わってしまいます。会社のためのこの行動は「サービス」、つまり報酬が0円ということ。
この言葉が一般化され過ぎているのは、そういう働き方を求める会社と、その働き方をする人が多くいるからですね。 人の時間は有限で、とても価値のあるものです。 「人の時間を大切にする」という文化、そして「何事も真面目に取り組む」という気質。おそらくサービス残業は後者が上回ったのかもしれません。 けれど、時代はもう令和。大切に残す文化も必要ですが、脱却する慣習もあると私は思います。 ぜひとも「サービス残業」という慣習がなくなり、多くの人が自身の大切な時間を過ごせることを願います。 アルトゥル=写真・文 池田裕美=編集
OCEANS編集部