日本近現代史と格闘した孤高の思想作家「高橋和巳」の豊穣な物語世界 小野沢稔彦
◇民衆宗教が「国体」を解体する物語 高橋の代表作であり、壮大な全体小説である『邪宗門』を再読してみよう。『邪宗門』は幕末以降の近代日本の歴史のなかに生きた「民衆宗教」の運動を思想実験の場とし、その転変を物語化している。人々の内面の運動を明確に捉え、その歴史の全体を検証し、国家の側が作意した歴史を逆なでする「反近代史」の試みである。このモチーフについては高橋自身が、《日本の現代精神史を踏まえつつ、すべての宗教がその登場のはじめには色濃く持っている〈世なおし〉の思想を》《極言化すればどうなるかを、思想実験してみたい》と端的に単行本あとがきで書いている。つまり高橋は、不変の体系とされた「国体」のなかで、民衆の世直しの思想によってその絶対性を解体しようとする物語を作りあげたのである。 高橋が創作した「ひのもと救霊会」という民衆宗教の教義にはどんな革新性と組織性があるのだろうか。 〈1〉開祖が時代と社会から貶(おとし)められた女であり、抑圧された女の声が教義であること。世界の宗教史・民衆史においてその開拓者が女であることは、性の問題を正面から問うその教義を含めて、極めて革命的であり、その意味は大きいだろう。 〈2〉開祖の宗教思想は矛盾にあふれ、それを宗教教団の思想大系として整備したのは開祖を継ぐ二代目教祖たる男によってである。近代という時代のなかで教団は飛躍的に巨大化する。それはしかし、国体との折り合いをつけることを意味した。 〈3〉幾重にも差別され、極限状況で生きなければならなかった女の戦いは、開祖に連なる多くの女たちの内面で活性化し、言葉にならぬ「世なおし」の意志を生成する。そして、男たちを巻きこみ、巨大な運動となっていく。教団は戦争の現実と向き合い、国体を解体する方向へと運動は向かわざるをえない。すると組織は政治性を表面化することになる。 〈4〉男たちが形成する教団は、常に体制と折り合って組織の延命を図る。体制との妥協策はやがて戦争を受け入れ、その渦中に「北満」や「南方の島々」で、教団と国家の矛盾を女たちが背負わされる惨劇となって顕現する。