一種の「軽さ」が真骨頂、異質の絵画・浮世絵と日本建築―すみだ北斎美術館
設計としての名作、存在としての名作
浮世絵の話ばかりになってしまった。 すみだ北斎美術館は、堅固な甲殻をところどころ切り裂いて内部を抉り出すという建築の基本的な構成がはっきりしている。きわめて力強い外観にそれが現れている。北斎の骨太さと先鋭さが表現されているようでもある。 しかし内部空間、展示空間は、その建築構成にあとづけされたという印象だ。 企画から完成までにはいろいろと紆余曲折があったようで、関係者も苦労したのだろう。妹島ほどの建築家でも、展示を含めた総合的な設計を貫徹しにくい状況にあったのかもしれない。 また今日の著名な建築家には、基本設計から実施設計、現場監理まで通して責任を負い、インテリアと外構も含めて作品として完成することではなく、建築の基本的な意匠を決定することだけに関わることが求められる傾向もある。 そう考えれば、建築家の役割として、建築の存在全体に責任をもつのではなく、基本的な空間概念を構成することに専念し、全体の構成に関係の薄い付属的な部分や、内装、運営に関わる部分は他者に任せるという選択肢もあるのかもしれない。 筆者の師匠にあたる篠原一男という建築家は、彼の作品が、雑誌に掲載される写真のようにスッキリしたものではなく、雑然と使われていること、つまり空間の美意識と生活の実用に乖離があるという批判に応えて「作品は自分の手を離れれば、どうなってもかまわない」と発言したことが印象的であった。彼にとって「作品」とは設計の終了とともに完結するのであり、施工の質や使われ方には関与しないという、純粋芸術家としての宣言である。 しかし一般には、建築という作品は、設計者だけによってではなく、施主と施工者(職人を含めた)の協力が必要とされる。中世まではむしろ施主と施工者が建築家を兼ねていたのだ。 つまり建築の「作品」には二つの解釈がある。設計芸術としての作品性と社会的存在としての作品性だ。浮世絵という仕事も、絵画としての作品性と、絵師と彫師と刷師がいてさらに蔦屋重三郎のような版元がいて成立する社会的作品性が存在する。 いずれにしろ、絵画も建築も、その社会が何らかの形でその作品を求めていることが条件だ。そう考えればこの建築が、江戸と東京の二つの社会とその文化の在り方を体感するのに適した空間であることはたしかである。 個人は社会によって、社会は個人によってなりたち、名作はその絶妙な関係において結実する。