病室の孫正義は孤独だった。「夜、ひとり泣きました」ソフトバンク草創期の闘病生活
「治りますか?」 孫は居ずまいを正して熊田に訊いた。 「7、80パーセントは治ります」 熊田は、きっぱりと答えた。 ● 発想が変われば 人の運命さえ変わる 不治の病と言われている慢性肝炎が治る。孫はからだが震えるほどの感動をおぼえた。いま診てもらっている有名大学病院では、決定的な治療法はない。せいぜい現状維持でしかない。 そのままじっと死を待つか。それとも新しい方法に賭けるか。 孫は熊田に言った。 「いくら時間がかかってもかまいません。先生、治してください」 熊田はにっこりと笑った。 「やってみましょう」 孫はこのとき自分が生きていることを実感した。 (たしかに不治の病に苦しんでいる。明日をも知れぬ身であった。だが、まったく発想の違う方法が、人の運命さえ変える可能性がある。己のやろうとしていることも、ぎりぎりのところでは熊田先生のやろうとしているところと同じではないか) 孫の胸に清々しい感動がこみあげてきた。 大学病院に戻った孫は、担当医に転院することを告げた。熊田のことはいっさい口にせず、いかにも律儀で真正直な孫らしく、これまでの礼を述べた。 「転院することにしました。これまでありがとうございました」 1984年3月13日、孫は虎の門病院川崎分院に転院した。妻の優美はつきっきりで看病した。優美はどうしても沈みがちになる夫を励ました。
● 「うまくいっていますか?」 それだけを孫は医師に問うた 3月17日から本格的な治療が開始された。 ステロイド剤を短期間投与し、いったんやめると、e抗原はみるみるうちに減少していった。 孫のなかで目覚めた免疫力がe抗原と闘っていることは、はっきりと数値にも現われていた。 だが、孫の表情は暗かった。 熊田が回診にくると、孫は心配そうに訊いた。 「治りますか?」 「うまくいっていますか?」 入院してから孫が口にしたのは、そのふたつだけだった。笑顔を見せながら、熊田は答える。 「数値もよくなっているし、順調ですよ」 孫はにこりともしない。 熊田が出ていくと、カーテンを引いて閉じこもった。 ベッドに横になって天井を眺めた。 孫は大きくため息をついた。 2年間、この繰り返しだった。 ふたたび暗い闇のなかに放り込まれた。 孫の身に黎明が訪れたのは、ゴールデンウイークの明けた5月9日のことだった。 孫のe抗原は正常値に近い50以下にまで下がっていた。 「先生、うまくいっていますか?」 孫は熊田に訊いた。 「いいよ、きっとうまくいく」 このあと上がるか下がるか――それが重要である。これまでの治療方法では、e抗原値が下がれば、薬をやめないでずっと使っていた。だが、これではウイルスは完全には消えない。喧嘩しないだけだ。ここで、投与をやめて大きな喧嘩が起きるかどうか。大きな賭けである。