病室の孫正義は孤独だった。「夜、ひとり泣きました」ソフトバンク草創期の闘病生活
● 小さな変化に着目して 発想の転換を生み出す 熊田という医師もまた、平坦な道を歩んできたのではなかった。 小、中、高と岐阜で過ごした。優秀な少年がそのまま地方の医大をめざしたのも当然であった。岐阜大学医学部を卒業すると、虎の門病院病理学科で研究に携わったのち、同病院の消化器科に移り、臨床医となった。 1979年、熊田は63歳の女性患者の症例に、ふと不審なものを認めた。この患者は慢性肝炎で、従来の治療法であるステロイドをずっと投薬していた。だが、その病態にある変化が見られた。ふつうなら見過ごしてしまうようなことだが、変化を熊田は見逃さなかった。そしてある日、彼女のからだからe抗原が消えていることに驚いた。 なぜだろう? 熊田は必死で追跡検査をした。漢方薬でも飲んでいるのか。いろいろ調べた結果、その患者は入院中は看護師が配るからステロイド剤を飲んでいたが、退院後に飲むのをやめ、退院してからいっさい飲んでいないことが判明した。 治療薬を飲むのをやめて、逆にe抗原が消えた。いったいなぜだろう。 研究者としての熊田はきわめて綿密、しかも細心であった。 急性肝炎は治るが、慢性肝炎は治らない。退院した慢性肝炎の女性が治ったのは、ステロイド剤をやめたために、逆に免疫力がついてe抗原を消すことができたのかもしれない。
そこでまず、短期間にステロイドを投与して免疫力を抑える。その後、投与をやめて、急性肝炎を引き起こさせて、いっきに治してしまう。いわば賭けのような治療方法である。 慢性肝炎を急性にして治す。まさに発想の転換だった。 ● 熊田の斬新な治療法は 学会で袋叩きにされた 従来の方法は、ともかくステロイド剤をずっと使って、少しでも悪くならないようにする治療だった。それが世界の主流だった。 だが、熊田はあえて新しい方法に挑戦した。それが劇的な効果を上げた。 孫は熊田の説明をじっと聞いていた。 (この医師は、たいへんな情熱を持って取り組んできている) 孫は熊田の治療方法にあらためて深い関心を持った。 1981年、熊田は慢性肝炎の斬新な治療方法である「ステロイド離脱療法」を学会で発表した。 だが、受け入れられるどころか、袋叩きにあった。 一時的に薬を抑制して、患部を悪化させる――そんなものは治療ではないという意見が圧倒的だったのである。 ごく一部の医師が関心を示したが、日本の肝臓学会ではほとんど否定された。 大論争を巻き起こしていたその治療方法を新聞が取り上げ、父三憲が目にした。 ただ、孫は病院を変わることに抵抗があった。入院中の病院でも必死になって治療に当たってくれている。命を預けている。患者と医者は信頼関係で成り立つ。しかも、医者を替えたからといって治る保証はどこにもない。