宇宙を狙うルクセンブルクの国家戦略 日本企業も進出
ルクセンブルクの首都ルクセンブルク市で7月、日本の宇宙ベンチャー「ispace(アイスペース)」(東京都)の記者会見が開かれた。同社の民間月面探査プログラム「HAKUTO―R」ミッション2で使用する、月面探査車「TENACIOUS(テネシアス)」のお披露目会だ。 【写真】公開された月面探査車 アイスペースは2010年に設立され、月への輸送や月の情報収集サービスなどで収益化を目指す。23年の1回目の打ち上げでは、ソフトウエアの誤作動などで、あとわずかのところで月面着陸に失敗した。現在、今冬に予定される2回目の打ち上げに向け、準備を進めている。ルクセンブルクには17年に現地法人「ispace EUROPE」を構え、今回、この国で月面探査車を組み立てた。 では、なぜルクセンブルクなのか。背景には人口約65万人の小国の国家戦略がある。現在、宇宙に関する世界の法的枠組みには、1967年に発効した「宇宙条約」がある。だが米ソ冷戦の中、条約の主目的は、宇宙での軍拡競争を防ぐことにあった。このため宇宙空間の輸送や月の資源採掘に関する詳細な取り決めはない。 世界で打ち上げ技術などが発達する中、宇宙産業発展に向け素早く動いたのが米国とルクセンブルクだった。米国は15年、ルクセンブルクは17年に、民間企業に宇宙で採掘した資源の所有を認める法律を独自に制定した。ルクセンブルク政府が目指すのは、現在、金融セクターが柱となっている経済の多角化だ。政府は18年、ルクセンブルク宇宙機関(LSA)を設立し、宇宙分野の企業誘致に乗り出した。 宇宙法に詳しい米ネブラスカ大リンカーン校法学部のフランス・ボンデルダンク教授(宇宙法)は「ルクセンブルク政府は、宇宙で活動する企業のために欧州で一番早く法的枠組みを整備し、支援すれば、各国から企業が集まり、宇宙産業のハブ拠点のようになれると戦略的に考えたのです」と解説する。 手を挙げた企業の一つがアイスペースだった。「ispace EUROPE」のジュリアン・ラマミー最高経営責任者(CEO)は会見で、ルクセンブルクの先駆的取り組みについて「わが社が現地法人を設立するきっかけとなった。大胆な国家の下に、ビジョンを共有する大胆な企業が進出する。ウィンウィンの関係を見いだしたのです」と振り返る。ルクセンブルクにはこれまでに、国内外から約80の宇宙関連機関、企業が進出し、1400人を超える雇用を生み出している。 アイスペースの今回の月面探査計画には、さまざまな新しい試みが含まれる。月で採取した土を米航空宇宙局(NASA)に5000ドル(約75万円)で売る契約もその一つだ。ラマミー氏は「17年のルクセンブルクの法律により、私たちは月で採取した土の所有権を主張できます。月の土をNASAに売る初のケースとなります」と語る。 ボンデルダンク教授は「NASAにとっても、米国以外の民間企業と月での活動について契約を結ぶ初めてのケースになり、それを世界各国の企業に示すことができます。一方、月の土の所有に関する国際合意はないため、NASAには世界の反応を見る意図もあるのでしょう」と分析する。 ラマミー氏は会見で「私たちは宇宙資源をどのように平和に責任をもって採掘し、商業利用するか、国際合意に向けた議論を活性化させたいと考えています」と語った。ただ、合意までの道は平たんではなさそうだ。「超大国の米ソのみが宇宙に関与していた時代と異なり、多くの国が参入し、米国と中露が対立を深める現代は、より合意の達成が難しいのです」とボンデルダンク教授は指摘する。 ルクセンブルク市郊外ベルバル地区では、LSAなどが20年に設置した研究機関「欧州宇宙資源イノベーションセンター」(ESRIC)の施設で、月面での採掘作業を想定した実験が続いている。 研究員のティモン・シルドさん(28)は「月では地域によって岩石の種類が異なります。地球上にある類似の鉱物を利用し、月面で採取した岩石からさまざまな鉱物を分離するための実験をしています」と説明する。水素を使い、月面の鉱物から酸素を取り出すための実験装置もある。「月の鉱物に含まれる酸素は、宇宙飛行士の呼吸用だけでなく、ロケットを飛ばすためにも利用できます」と語る。 研究施設では、鉱物中の酸素と水素を結合させてできた水を純化する実験も進められていた。研究員のアイヌル・イエルザンキジさん(31)は「純化の過程で取り出した不純物が、貴重な資源となる可能性もあります」と話した。 ベルバル地区の歴史は、ルクセンブルクの産業の盛衰と重なる。この地に製鉄所ができたのは20世紀初頭。1913年には約3000人の労働者が働き、鉄鋼業は国をけん引する主産業となった。だが、やがて衰退し、製鉄所は97年に閉鎖される。その後、金融セクターが主産業として台頭し、再開発されたベルバル地区は、ルクセンブルク市のベッドタウンとなった。 2008年のリーマン・ショック後、政府が進める経済の多角化の一環としてベルバル地区に建設されたのが、ESRICなどの宇宙関連施設だ。LSAのマルク・セレスCEOは「宇宙産業を国際的に発展させ、ルクセンブルクの経済の柱の一つにするのが目標です」と抱負を語る。 ルクセンブルクの産業転換は成功するのだろうか。その重要な一歩を日本の企業が担うことになる。「HAKUTO―R」ミッション2の打ち上げは、早くて12月、米フロリダ州で予定されている。【欧州総局長・宮川裕章】