「グッズの買い占め」は是か否か…天才哲学者が考えた「説得力のある答え」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】「グッズの買い占め」は是か否か…ある哲学者が考えた「説得力のある答え」 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
独り占めは許されない!──最大多数の最大幸福
ベンサムが自然権(人が生まれながらにもつ、国家成立以前からある神聖不可侵の権利)という発想を否定したのも(それが歴史的に証明されないという理由もあったが)、人々がその権利に固執することによって、それ以外のできるだけ多くの人々が幸福になることが妨げられるという事態が生じるからであった。 たとえば、こんな例を考えてみよう。プレミアム・グッズ付きコミックスが店舗に並べられた途端、1人の熱烈なファンが全部買い占めてしまった。抗議する他の客に対し、そのファン曰く「自分は誰よりも昔から熱心にこの漫画を愛しているファンだし、開店前から並んでいたし、ちゃんと自分のまっとうな貯金で買ったし、法に触れることなんて何もしてない。どこが悪いの?」。 この買い占めファンの行為と理由を、自然権思想の観点から評価するとどうなるか。 ロックの自然法によるならば、自己労働で獲得した財はその人の正当な所有物であり、それを自由に処分することはその人の神聖不可侵な(つまり他人から介入されてはならない)権利である。 その観点からすると、買い占めファンの行為は自分の正当な財産を自己の判断で自由に処分したにすぎず、また他人を暴力で押しのけるなどのことはしていない以上、まったく問題はないということになる。 しかし、この考え方には、同じくグッズ付きコミックスを入手したかった他の多数のファンの悔しさに向けられる配慮がない。 一方で、この例を功利主義の立場から見ると、買い占めファンの権利の完全行使は、他の多数のファンのグッズ付きコミックスを入手するという幸福を奪い、その結果「最大多数の最大幸福」の実現を妨げるから、許されないということになる。 功利主義的思考の利点は、「最大幸福」を独り占めするのでなく、みんなで分かち合うことを求める点にある。