「グッズの買い占め」は是か否か…天才哲学者が考えた「説得力のある答え」
幸福の総量が最大になるように
いま検討している例において、たとえば100個あるグッズが総量100の幸福をもたらすとしよう(幸福を量化できるのかという問題はさておいて)。 グッズを買い占めファンが独り占めすれば、その人は1人で100の幸福を満喫することになるが、他の買えなかった99人は幸福ゼロになる。それでも幸福の総量は100であるが、その100は1人の人間に享受されているだけなのである。 それに対して、買い占めをやめ、グッズが1人に1個ずつ購入されるならば、1人あたりの幸福は1であるが、そういう人が100人いることになって結果的に幸福の総量は100になる。100×1+0×99=100がよいのか、それとも1×100=100がよいのか。 功利主義は後者をとる。1人あたりの幸福量は減るにもせよ、全員が幸福になった結果として幸福の総量が最大になる方がずっとまし、というのが功利主義の考え方なのである。 したがって、この立場に立てば、買い占めをする権利行使は制限されて当然ということになる。この点について、ベンサムはこう言っている。 「功利性の原理とは、その利益が問題になっている人々の幸福を、増大させるように見えるか、それとも減少させるように見えるかの傾向によって……すべての行為を是認し、または否認する原理を意味する」(『道徳および立法の諸原理序説』1789年)。 だが、誤解のないよう注意しておけば、功利主義はだからといって「多数者の幸福のために少数者を抑圧する」ことを正当化する思想ではけっしてない。他者の幸福を不当に奪わない限りにおいて、少数者もより幸福にならねばならないというのである。 ベンサムは同性愛が犯罪とされていた当時のイギリスにおいて、「公権力は食卓の問題に介入しないのに、なぜベッド上のことに介入するのか」と述べて同性愛を擁護した。 また、ベンサムに続く功利主義の第一人者ミルは、人は他者に危害を加えない限りは自己の判断で何をやってもよく、そのことを公権力や社会の多数派は抑圧してはならないという「危害原理」を主張した。 さらに連載記事<「真面目すぎる学生」が急増中…若者たちを「思考停止」させる「日本の大問題」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美