ロールス・ロイスの「ロールズ」と「ロイス」の才能を結びつけた男…スピリット・オブ・エクスタシーを発案した「クロード・ジョンソン」とは
スピリット・オブ・エクスタシーはクロード・ジョンソンの発案で製造
ビジネスパートナーとして、ロールズとクロード・ジョンソンの2人は理想的な組み合わせだった。ロールズは技術面を担当し、クロード・ジョンソンは一般の顧客への宣伝や販売を担当した。会社は繁栄し、ロールズは1904年にヘンリー・ロイスが製造した新型10馬力自動車を見つけ出すこととなる。ロールズはヘンリー・ロイスとマンチェスターで初めて会った後ロンドンに戻り、ロイスが製造できるすべての自動車を「ロールス・ロイス」という新しい名称で販売することになった。クロード・ジョンソンはたちまちこのプロジェクトに魅了され、1906年にロールス・ロイス社が正式に設立されると、販売担当の常務取締役に就任した。 クロード・ジョンソンの宣伝活動における才能と熱意は、まさにうってつけの活躍の場を見つけた。クロード・ジョンソンの勧めにより、ロイスはより大型でパワフルなモデル、「40/50 H.P.」を開発し、より大型のボディワークを搭載できるようにした。またクロード・ジョンソンは銀メッキ仕上げと銀色の塗装を施した12台限定モデルを「シルバーゴースト」と名付け、1907年のイベントでは優勝。この自動車の信頼性を強調するために、彼はすぐに「ノンストップ」走行に参加するよう準備をはじめた。これはパンクを除いて、1日の決められた時間内に道路上で停止することなく走り続けるというものだ。結果的にロンドンとエディンバラの間をノンストップで1万5000マイル(約2万4140km)を往復し、新たな世界耐久記録を樹立した。特徴的なのは、クロード・ジョンソンが最初の4000マイル(約6437km)を自ら運転したことであった。 クロード・ジョンソンは注目に値するPR活動も続けた。それは、エンジンをかけたままグラスに入れた水を一滴もこぼさずに注ぎ入れたり、ラジエーターキャップの縁にコインを載せて倒さずにバランスを取ったりするものだった。また、ロード・ジョン・モンタギューとの共著『Roads Made Easy』というガイドブックのシリーズを執筆し、出版した。 モンタギューを通じて、クロード・ジョンソンはアーティストのチャールズ・サイクスと出会った。自動車のラジエターキャップにコミカルなマスコットを取り付けるという流行が、クルマのクラシックなラインを損ねているのではないかと懸念したクロード・ジョンソンは、公式なマスコットのデザインをサイクスに依頼した。 現在「スピリット・オブ・エクスタシー」として知られるこのマスコットは1911年に発表され、クロード・ジョンソンの最も重要で不朽の遺産のひとつとなっている。今日に至るまでロールス・ロイスの自動車のフロント部分を飾り続けているこのエンブレムは、時代を超えたブランドのミューズであり、最近ではプライベート・コレクションの「ファントム シンティラ」をはじめとする数々の傑作のインスピレーションの源となっている。
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