親パレスチナ団体はなぜ絵画を切り裂いたのか。環境問題やパレスチナ侵攻とアートについて「セトラー・コロニアリズム(入植植民地主義)」の視点から考える(文:Maya Erin Masuda)
相互作用するアクティビズムたち
双方の活動の交差地点を考察するにあたり、帝国主義と、それがもたらすエコロジカルな共同体の解体、またそれと視覚文化との歴史的に続く共犯関係を無視することは不可能であろう。 たとえばエコロジーを専門とする美術史家のヘザー・デイヴィスは、パレスチナのイブン・イブラク(Ibn Ibraq、またはアル・ハイリーヤ/Al-Khayriyya)というかつて村があった土地の実例から、植民過程における土地認識のポリティクスについて論じている。この事例においてイスラエルは、かつて草原であった歴史的に重要なパレスチナのこの土地に、海抜80mにもなる巨大なごみ廃棄場を建設する際、その土地が「不毛」な「砂漠」(*10)であり、その有効利用が「サステナブル」(*11)であるという新自由主義的レトリックを用いた。エコロジカルなイメージを戦略的に打ち出すことで、より大規模な植民地支配や環境破壊を覆い隠すこの手法は、グリーン・ウォッシング(*12)と呼ばれ、今日に至るまで、石油会社や国家によって戦略的に用いられてきた。本件において植民者は、そこにある「草原」を、視覚認識に基づいて「不毛な土地」であると主張し、その有効活用はより環境問題に貢献しているとアピールすることで、植民地主義を正当化するのである(*13)。草原であった土地に数百トンの廃棄物を埋めたとしても、入植者にとってその土地の光景はそこまで変わらないかもしれない。だがデイヴィスが指摘する通り、問題となるのは、本来息づく共同体としての土地を、植民者が視覚的に「不毛な土地」として還元する行為そのもの(*14)なのである。 こうした手法に共通するのは、それが土地の匂い、音、そして空気における化学物質の構成(ケミカル・インフラストラクチャー)(*15)などを変容させることで、パレスチナ人の土地からパレスチナ人を情動的に切り離し、その土地との親密な心的関係性を組織的に排除してきた(*16)ということであろう。これらの行為は、視覚に依るものに限らない水、風、土といった様々な媒質を通して共同体の新陳代謝に影響を与え、人間を含め「共に息をする」共同体としてのエコシステムを破壊する。前稿において私は、「共に息をすること」を含む親密さのパフォーマンスが黒人公民権獲得のための鍵となったことを議論した(*17)が、本件はそのダイナミクスが逆照射され、 息をすることのポリティクスが特定の住民から土地への親密さを切り離すための戦略として用いられたひとつの事例なのである。 ここからもわかる通り、セトラー・コロニアリズムを初めとする数々の植民地主義が共同体から奪ってきたものは、土地という記号に到底限定できるものではない。 ダナ・ハラウェイ(*18)、セシリア・オスバーグ(*19)など数々のフェミニスト研究者がポストヒューマニズムの文脈から指摘してきたように、人間が周囲の存在たち(agencies)とのあいだに生かされている多孔的な存在である以上、空気や水など人が生きる環境は、そこに根付くネットワークとして、ある種人間という存在そのものの一部をかたち作っているのである。そしてそれは、絵画・彫刻などの視覚芸術を用い、人々の生活を植民地から、植民地を人々の生活から切り離すかたち(*20)で、明快かつ簡略化された権力のナラティブを描いてきた帝国と、そこから取りこぼされてきた土地と人々とのつながりや帰属意識 (belonging)、そして共同体の記憶との差異への、重要な手掛かりとなる。 共同体の記憶はいかにして保存されうるのか。帝国のナラティブ/共同体のナラティブ 次に、この周辺に位置する議論について、実際の展覧会を取り上げながら読み解いていきたい。