給食で食べられたのは白米と牛乳だけ、1人で残って食べ続けた日々。「もっと食べなさい」と言われるのが本当につらかった【感覚過敏体験談】
加藤路瑛(かとうじえい)さんは、感覚過敏があり、幼いときから日常生活で困る場面が多かったと言います。感覚過敏とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚などの感覚が人一倍過敏に反応することです。加藤さんは、中学2年生のとき自身の経験から感覚過敏の課題解決をめざす、感覚過敏研究所を設立。18歳の現在は、代表取締役社長を務めています。加藤さんに幼児期、小学生のころの感覚過敏の様子について聞きました。 全2回インタビューの1回目です。 【画像】1652gで生まれた加藤さん。生まれた直後の写真。
靴下の内側のつま先部分の縫い目が痛くて、靴下を嫌がる
加藤さんが「自分は感覚過敏」だと知ったのは、中学1年生のときです。感覚過敏とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚などの感覚が過敏になっていて、日常生活に困難なことがある状態のこと。感覚過敏は発達障害や精神疾患、脳の病気などさまざまな病気や障害の症状としてあらわれるものであり、現時点では明確な治療方法や緩和方法が確立されていません。加藤さんは振り返ってみれば、幼児期から「おや?」と思うことが多々あったと言います。 ――加藤さんは、感覚過敏以外で何か特性などはありますか。 加藤さん(以下敬称略) 感覚過敏は発達障害の人に多くみられる症状と言われています。私は小学4年生のときに発達検査を受けていますが、発達障害の診断は出ていません。 ――感覚過敏は何歳ごろからありましたか。 加藤 幼いころのことはよく覚えていないのですが、親に聞くと、振り返れば思い当たることは多いと言います。ただ親も、感覚過敏という言葉はもちろん、感覚過敏とはどういう状態なのか知りませんでした。 幼いころは靴下の感触が嫌で、靴下をはかせようとすると抵抗するので、親は私が好きなキャラクターの靴下を買って来て、どうにかはかせようとしていました。 子どものころは何が嫌なのか伝えられなかったのですが、靴下の内側のつま先部分の縫い目が足に触れると小石を踏んだように痛いし、足の裏に靴下が張り付くような感覚が本当に気持ち悪かったんです。そして、それは今も変わりません。 また私は泣き虫で、抱っこをよくせがむ子だったそうです。公園で遊ばせようとして、芝生の上におろすと大泣きするということが何度もあったそうです。靴下同様に、足の感覚が過敏で、地面や芝生に足をつくのが嫌だったのかもしれません。 両親は、そんな僕のことを神経質で臆病な子と思っていたようです。 ――幼稚園のころ、食事はどうでしたか? 加藤 味、食感、においが苦手で食べられないものが多かったです。そのため両親は「好き嫌いが多い子」と思っていたようです。 私は出生体重1652gと小さく生まれました。2月の早生まれということもあり、親は「たくさん食べて大きくなってほしい!」と思っていたようです。親は私が好きな戦隊ものの人形をテーブルに置いて、その人形に食べさせるふりをしてから、「次は路瑛の番だよ~」と言って、食べさせるなど、いろいろ工夫したようです。でも親が思うようには、食べませんでした。