エース石川祐希が初めて綴った<本音>。パリ五輪出場権獲得の瞬間の心境は「喜び」より実は…
パリ2024年オリンピックで<世界の頂>へ挑んだ石川祐希。彼はいかにして世界に誇る日本のエースになったのか? オリンピック出場にかけていた思いとは? そもそもどのようにしてバレーボールと出会ったのか――。石川選手の魅力に迫った『頂を目指して』から一部を抜粋して紹介します。 片手に本を持つ石川祐希選手。もう片方の手に持つのはやはり… * * * * * * * ◆あと1点 目指したパリオリンピックの出場権獲得は、今、目の前に迫っていた。 2023年10月7日、FIVBワールドカップバレーパリオリンピック予選の日 本対スロベニアの試合。 満員の国立代々木競技場第一体育館で、僕はサーブエリアに立った。 エンドラインから6歩、どんなときも平常心でサーブを打つためのルーティンだ。 何が何でも自分で決めてやろうとか、この1点ですべてが決まるといった余計な気負いはない。 これまで数え切れないほどに練習を重ねてきた。 いつもどおり、いいトスを上げて、しっかりジャンプして、「ここ」というポイントで打つ。 どんな状況でもベストサーブを打つことだけを心掛けて、僕はサーブのモーションに入った。 2セットを日本が連取して迎えた第3セット、24対17。 この試合を日本がセットカウント3対0で勝てば、パリオリンピック出場が決定する。 絶対にストレート勝ちをしなければならない、ストレート勝ちで決めたい、という思いの強さが裏目に出て、前半は苦戦を強(し)いられた。
◆「チーム」として勝つために でも、第1セット中盤で同点に追いつくと、一気にムードと流れが変わる。 それぞれがいつもどおり、劣勢からもやるべきことをやって、得点を重ね、念願のストレート勝ちまであと1点。 点差の余裕もあり、僕は思い切って得意なコースをめがけてサーブを打った。 結果は、わずかにアウト。 エンドラインをオーバーして、24対18。 自分のサーブで勝利を決めることはできなかったけれど、僕はまったく気にならなかった。 「いいところを見せてやろう」とか「主役になりたい」という思いはまるでない。 チームとして勝つために、最善を尽くす。 スロベニアのサーブからのマッチポイントも、自分で決めたいと考えることなく、自分のところにサーブがきたら、攻撃につなげられるようにサーブレシーブを返す。 ただ、それだけを考えていた。 会場で見ていた1万人を超えるファンの方々や、テレビの前で応援してくれていた方々は、あの瞬間をどんな思いで見ていたのだろう。 最後の1点を誰が決めるのか。 どんなかたちで日本が25点目を獲(と)るのか。
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