社長から見ても「ドンキって変」なんですね(笑)
35期連続増収・増益という猛烈な勢いで成長を続ける総合ディスカウント店「ドン・キホーテ」。運営会社のパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)の売上高は2024年に初めて2兆円を突破し、今や日本の小売業界では第4位の巨大企業だ。そんなドンキの素顔について、日経クロストレンド新刊『ドンキはみんなが好き勝手に働いたら2兆円企業になりました』から一部抜粋してお届けする。今回は同社の吉田直樹社長がドンキに入社することになった裏話をお届けします。 【関連画像】2024年8月29日発売の『ドンキはみんなが好き勝手に働いたら2兆円企業になりました』(日経BP)。著者はPPIHの吉田社長、ドンキ躍進の原動力となった「情熱価格」のリニューアルを手掛けたPPIH上席執行役員の森谷健史氏、ブランディングを全面サポートした博報堂クリエイティブディレクターの宮永充晃氏。“内側の人間”だからこそ書けた「ドンキ大躍進の真実」をこの1冊に凝縮 ●安田会長からのラブコール(?) まず、僕の入社当時のことからお話ししますね。僕の話……ではなく、ドンキのユニークさのお話として。 そもそも入社の経緯からして変わっていました。当時、僕はコンサルティング会社を経営していて、仕事の関係で安田会長とも面識があり、また、僕にとって、起業家として、一人の個人として最も尊敬している経営者でした。ただ、小売りの経験が人生で一度もない自分が、ドンキに入社するということは考えてもいませんでした。 安田会長は、面白い、というか真正直な人なので、打ち解けてくると、思っていることがストレートに言葉に表れます。 その頃、安田会長は、会うたびに、まるで口癖のように「吉田さんもコンサルなんかやってないで、実業をやったらいいよ。ドンキはいいよ、面白いよぉ」と、ことあるごとに私の職業を思いっきりディスっていました。どういう趣旨でそういうことを言われているのか、いまいちわかりませんでした(笑)。 そんなある日、というか、ある夜、安田会長から電話がかかってきて「ハワイの(現地法人の)社長になってほしい」と突然言われたんですね。「僕、仕入れも店舗の経験もないので無理です」と断ったのですが、次の日の夜も電話がかかってきました。その次の日の夜も……です。そういうことが続いて、毎晩(!)のように安田会長と話しているうちに、何となく、それが自分にとって良い選択肢に思えてきて(安田会長と話していると、大抵の人は説得されてしまいます。これが安田会長のスゴイところですが)、つい「わかりました……」と答えてしまったのです(笑)。 「コンサルなんかやってないで、実業をやったらいいよ」、と会長が言っていたのは、ドンキに入社したらという意味だったのか、と今頃わかったのでした(笑)。 会長は、善は急げを地でいく人なので(当社の事務所のトイレには「スピードこそ命」と貼ってありますが、これも企業理念集に書いてある言葉です)、そこからは「じゃあ、いつハワイに行ける?」と、あっという間に具体的な話になって、入社日やハワイに行く日程など、全てその場で決まってしまいました。 入社した時のことも忘れられないですね。 今でこそ、入社の手続きやオリエンテーションなどは、普通の会社のように行われますが(みなさん、ご安心ください!)、その頃はそんなものはありません。「この部屋、使ってください」だけでした。 国際電話のかけ方もわからず、本社にどういう部署があるのかもわからず、それこそ、どういう意思決定をしたらいいかも教えてもらえず、ハワイ法人の社長ってどういう仕事なんだ?という説明も受けないまま、デスク一つの部屋をあてがわれたのでした。 ●権限委譲のベースにある「仲間」という感覚 そうだ、安田会長に挨拶しないと……と思い、安田会長の部屋に行ったところ、満面の笑み(この笑顔が安田会長のトレードマーク)で、「ようこそようこそ」と大歓待です。一通り話が盛り上がったところで、会長が、「ところで、今までは『吉田さん』と、さんづけで呼んでいたけれど、これからは仲間だ。いうなれば、オレとお前という関係。なので、これからは『吉田』と呼び捨てにするがいいか?」と言われたので、「もちろんです」と答えました。オレとお前と言われても、僕が会長のことをお前と呼べるわけもなく(笑)、僕にとって、会長は会長なんだよなーと思いつつ……。 ただ、会長のこの感覚。入社したばかりだけど、「仲間なんだよ」ということの象徴としての、「オレとお前」という言葉。この仲間という感覚、信頼感が、ドンキの権限委譲という仕組みをつくる基礎の一つになったのだと、今は思います。 そういうことで、僕は入社と同時にハワイ法人の社長に任じられたのですが、安田会長は「吉田も困ってるだろう」と(そんなことを前提に子会社の社長をやらせるんですか?と思いながらも・笑)、1回目のハワイ出張で、多数の営業の幹部を一緒に連れていってくれました。 そのとき驚いたのが、一緒に行った営業幹部の人たちはみんな、男性も女性も30代中心で、20代の人もおり、それぞれが、それぞれの部門、それも結構大きな部門の最終責任者だったのです。
吉田 直樹