ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)を乗り越える「大人の自分探し」
「連続的な一貫性」の維持が困難に
青年期に「自分らしさ」がうまく見つかれば、しばらくの間、人生において自分のアイデンティティはそこまで意識されることはない。ところが中年期に差しかかると、その足場に揺らぎが生まれ始める。まず、誰もが体力の衰えを感じ始めて、若いころのようにはガムシャラには働けなくなってくる。実績や経験値が積み上がったぶん後輩や部下ができて、指導や育成などの役割が生まれる。さらには子育てや介護など、家庭生活の役割も変化してくる。さまざまな関係性のなかで「新しい私」の要素が増えて、「職能プレイヤーとしての私」の割合が相対的に小さくなっていく。 例を挙げて考えてみよう。昔から絵を描くのが好きで、美大のデザイン科に進学して、事業会社のデザイナーとなった人物。自分で手を動かしてデザインするプロセスがたまらなく好きなこの人物には、これまでのキャリアに確かな「連続的な一貫性」が認められる。ゆえに「私はデザイナーである」というアイデンティティを保持するのは容易だろう。 しかし仕事が評価されて、ひとたびデザインチームのマネジャーを任されると、皮肉なことに、自分がデザインする時間よりも、部下のデザインを指導・確認する時間が上回るようになる。下手をすれば、部下との1on1の連続だけで一日が終わってしまう「まったくデザインをしない日」も出てくる。かつてのようにデザインに向き合う時間をもっととりたいが、子どももまだ小さいし、以前のように睡眠を削って仕事をするほどの体力も気力もない。デザインが好きでこの仕事に就いたはずなのに、デザインをさせてもらえない。いったい、自分は何のために働いているのだろうか。 このようにして、青年期に確立したはずのアイデンティティは、「連続的な一貫性」の維持が困難になり、中年期に必ず揺らぎ始める。ミドルエイジ・クライシスとは、キャリアの発達において避けようのない、構造的な課題なのである。 中年期のアイデンティティの再統合が難しい理由は、新たに増えた要素同士に「矛盾」が生じるからである。例えば「手を動かしてデザインしたい自分」と「他人のデザインを指導しなければいけない自分」の矛盾。「仕事を頑張りたい自分」と「もっと家族に向き合いたい自分」の矛盾など、折り合いのつかない要素が共存することで、「自分らしさ」をシンプルに定義できなくなっていく。揺れ続ける自分の「中途半端さ」に悩み続けてしまう。これがミドルエイジ・クライシスのメカニズムなのだ。 中途半端に悩み続けるくらいであれば、諦めをつけてきっぱり「仕事を辞める」というのは、たしかに賢い解決策なのかもしれない。しかし本稿では、「退職」以外の方法を探ってみたい。その手がかりは、「探究」という言葉にある。