「わたしは子を産む女のようにあえぎ…」旧約聖書の父なる神の「母性」とは?
旧約聖書外典『ソロモンの知恵』においても、「知恵」は「花嫁」であり、「霊が宿る」とされ、「知恵の霊」とも呼ばれる。「彼女は神とともに住んで、/その尊貴な生まれを誇り、/万物の主は彼女を愛した。/彼女は神の認識に与り、/彼の業を選ぶ者となったからだ」(関根正雄訳)と讃える。「知恵」は、神の「霊」でもあれば「花嫁」でもある。 ● 旧約聖書には神を女性と捉えた イメージが数多く存在している 意外に思われるかもしれないが、旧約聖書のなかには、神を女性の、とりわけ母性のイメージでとらえた個所が少なくない(Schafer)。その数は新約聖書よりもはるかに多いとさえいえるかもしれない。その主たるものを以下に引いておきたい。 たとえば『申命記』では、養い育てる神が鷲の母鳥にたとえられる。「鷲が巣を揺り動かし/雛の上を飛びかけり/羽を広げて捕らえ/翼に乗せて運ぶように/ただ主のみ、その民を導き」(32.11-12)、というわけである。さらに、「産みの苦しみをされた神」(32.18)とあるように、神は世の母親たちと同じように産みの苦しみさえ味わうのだ。 預言者イザヤでもまた、神はみずから「今、わたしは子を産む女のようにあえぎ/激しく息を吸い、また息を吐く」(『イザヤ書』42.14)と語り、同じく産痛の比喩が使われている。この神は、母親のように子に乳を与え、慰め慈しむ神でもある。
いわく、「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。/母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。/たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない」(49.15)、と。さらに、「母がその子を慰めるように/わたしはあなたたちを慰める。/エルサレムであなたたちは慰めを受ける」(66.13)、という。 神への讃歌、ダヴィデの『詩編』においてもまた、神は母性のイメージに重ねられる。「わたし〔ダヴィデ〕を母の胎から取り出し/その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。/母がわたしをみごもったときから/わたしはあなたにすがってきました。/母の胎にあるときから、あなたはわたしの神」(22.10-11)、といった具合に。 さらに、「主よ、わたしの心は驕っていません。〔……〕わたしは魂を沈黙させます。/わたしの魂を幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします」(131.1-2)ともある。 ユダヤ神秘主義カバラにおいて、地上における神の現前でもあれば、神の花嫁でもある存在は「シェキナー」と呼ばれるが、その原点は、神の女性的原理に言及した旧約聖書の数々にあったのだ。
岡田温司