「わたしは子を産む女のようにあえぎ…」旧約聖書の父なる神の「母性」とは?
しかしながら、聖霊を女性性においてとらえる見方が途絶えてしまうわけではない。それを証言しているのは、聖霊をずばり「キリストの母」と呼び換えている、オリゲネスである(『ヨハネによる福音注解』2.12)。 新約聖書外典の『へブル人福音書』を引きながら、このアレクサンドリアの神学者は、次のように述べるのだ。「〔聖霊は〕「天におられる父のみ旨」を行うのですから、「キリストの母」とよばれる〔他の〕すべてのものにまして、聖霊が〔キリスト〕の母であると言われるのも不当なことではありません」(小高毅訳)。 とすると、聖霊は聖母マリアにもきわめて近い存在とみなされうることになるだろう。 ● アウグスティヌスは言った 「精霊は愛(=女性)である」 一方、正統派の最右翼とされるアウグスティヌス(編集部注/4世紀の神学者)でさえ、「聖霊」を女性的なメタファーで語っている。「聖霊」は「カリタス(愛)」だと明言しているのである(『三位一体』1529)。ここで「スピリトゥス」は男性名詞だが、「カリタス」は女性名詞である。 しかも彼によると、この「聖霊」は、父なる神と子イエスを結びつけている「カリタス」でもあるのだが、母マリアがあいだに介在していることで、子イエスにたいして、神としての性格(神性)のみならず人としての性格(人性)をも授けている、という(同1546)。
「カリタス」としての「聖霊」は、神性と人性をつなぐ存在でもあるのだ。 「聖霊」を「カリタス」と読み替えるアウグスティヌスにおいて、「カリタス」の女性性は、言葉の綾ないし文法的性の問題に過ぎない、という反論が返ってくるかもしれない。もちろんそれは誤ってはいない。 とはいえ、この神学者がそこで育ち親しんだ古代ローマの異教文化において、「カリタス」ははっきりと女性の姿で描かれてきた。「ローマのカリタス(慈愛)」がそれで、餓死刑にあった父親キモンを助けるために、ひそかに自分の乳を与えてその命を救おうとする娘ペローの話である。 古代ローマの歴史家ウァレリウス・マクシムスや博物学者大プリニウスが伝えているので、アウグスティヌスがこの話を知らなかったとは考えられない。 ● ヘブライ語「ホクマー(知恵)」は女性名詞 旧約聖書は霊を知恵と同一視している 一方、「聖霊」を「ソフィア(知恵)」になぞらえているのは、先にもふれた『使徒ユダ・トマスの行伝』である。「ソフィア」もまたギリシア語の女性名詞で、トマスは「少女」と呼んで「ソフィアの讃歌」なるものを披露する。いわく、「少女は光の娘、彼女に王らの高貴な輝きが在りて在る。/その顔は喜びに満ち、/まばゆきばかりの美しさに光り輝く」(荒井献訳)、と。