経営難も構わず“オイルマネー”注入。カタールが苦境アウディのF1プログラムに投資する理由とは? 根底には自動車産業の混乱
「他人が貪欲な時は恐れを抱け。他人が恐れを抱いている時は貪欲になれ」 カタール投資庁(QIA)がアウディF1チームの株式を取得した理由は、アメリカ随一の投資家であるウォーレン・バフェットのこの有名な言葉に集約されている。 【ギャラリー】メルセデスからBMW、アルファロメオ、そしてアウディへ。F1界の”世渡り上手”ザウバーのマシン5選 産油国カタールの政府系ファンドであるQIAは2009年からアウディの親会社であるフォルクスワーゲン(VW)グループに投資しており、現在は17%を保有。個人株主としては最大規模だ。 VWグループが最近、ヨーロッパだけでなく中国での販売台数激減を背景に60%の減益を発表したことを考えると、既存の投資簿価が下がっている時にさらなる資金を投入することは賢明ではないのではないかと疑問視する向きもあるかもしれない。 しかしQIAによる株式買収は、それぞれのニーズに応えるモノだ。 アウディとVWグループにとっては、工場閉鎖と数万人のレイオフ実施をめぐりドイツ国内からのプレッシャーに晒されている中で、F1プログラムへの目立った支出を抑えることができる。アウディのゲルノット・ドルナーCEOが、QIAとの契約はグループの財政問題とは無関係だと主張しようとも、だ。 同時に、30%の株式取得(なんと約3億5000万ドル/524億円規模!)と言われるこの取引は、VWグループがF1から距離を置くのではなく、F1にコミットし続けることの経済的価値を示している。アウディは世界的に好調なF1にとどまり続けながら、既存の投資リスクを軽減することができるのだ。 ただ、厳しい道のりをゆくアウディのF1プログラムとしては、状況に応じて起動修正を余儀なくされた結果とも言える。 2年前に2026年シーズンからのF1新規参入を発表した当初、アウディはザウバーの持株比率を徐々に75%まで引き上げ、テトラパック社を受け継ぐ億万長者フィン・ラウジングが自身のイスレロ・インベストメントを通じて25%を保有する計画だった。 アウディが2026年の次世代パワーユニット(PU)プログラムに重点を置き、パートナーであるザウバーにシャシー面を任せることを想定していた当時は、これが論理的に思われた。しかし、かつてマクラーレンをF1チーム代表として率い、ザウバー/アウディF1のCEOを務めたアンドレアス・ザイドルは、アウディからのさらなる注力と資金提供がなければ、チームがグリッド後方から抜け出す可能性がほとんどないと認識し、2026年までにザウバーを完全買収するよう取締役会を説得した。 これは2023年3月に発表されたが、ザイドルCEOとアウディのオリバー・ホフマン会長は水面下で権力闘争に巻き起こし、喧嘩両成敗で両者とも解任に至った。 2023年の夏にはザイドルCEOによって技術的再編が開始されたものの、2024年シーズンでザウバーはコンストラクターズランキング最下位に沈んでいる。 カタールとしては、アウディF1への投資は化石燃料依存から脱却、そしてさらなる多角化を意味する。F1への世界的な関心の高まりと、ポスト・バーニー・エクレストン時代における財政安定の要因であるF1参戦チームの価値がますます高まっていることを考えれば、健全な利益を得られる可能性がある。 約20年前に設立されたQIAは、投資銀行クレディ・スイスやヒースロー空港ホールディングスにおける少数株主から、イギリスの老舗百貨店ハロッズやサッカーチームのパリ・サンジェルマンの完全所有に至るまで、現在では5000億ドル(約75兆円)近い資産を傘下に収めている。幅広いポートフォリオの中で、F1は小さな要素。そう考えると、QIAにとってVWグループの苦境は、貸借対照表に赤ペンで加筆するだけに過ぎない。 視点を広げてみると、現在は自動車産業全体が変革の時期を迎えており、そういった混乱にはチャンスが伴うことも多い。 アウディや、かつてF1に参戦していたジャガーやマセラティといった高級車ブランドなど、近い将来フル電動化を表明しているメーカーがある一方で、主要市場でのシェア拡大低迷を理由に完全電動化への圧力に反発しているメーカーもいる。 主な自動車購入者のかなりの割合が、航続距離への不安や充電インフラ不足を理由に、未だEVを躊躇しているか、完全に敵視している。場合によっては、気候変動を否定したり、EVが個人の移動の自由を制限しようとする闇の政府の陰謀だという突拍子も無い意見もあったりと……極端な政治的信条を理由にEVを否定する向きも見られる。 F1でも、控えめな形でこうした揺れ動きが見られる。より電動化が進むであろう未来を見据えつつも、これまでレースの核となってきた音や振動といった直感的なスペクタクルを両立させようと、関係者は苦闘している。 カタール、バーレーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦のような産油国が、化石燃料生産への依存から脱却して経済を多角化させようとしている中、F1と自動車産業は依然として可能性のある分野だと考えている。 バーレーンの政府系ファンドであるムムタラカットはマクラーレン・グループを完全保有してきたが、最近になってアブダビ国営投資グループのCYVNホールディングスに売却することで合意した。また、サウジアラビアの国営石油科学大手のアラムコは、アストンマーティンF1チームのスポンサーだけでなく、F1自体のパートナーも務める。 カタールがF1チームの株式を所有するのはこれが初めてではない。2009年にはカタールの政府系ファンドがウイリアムズと資本関係を結び、カタール・サイエンス・パークにウイリアムズ・テクノロジー・センターを設立。ルサイル・インターナショナル・サーキットで行なわれたプロモーションでは、シェイク・ハリド・ビン・ハマド・アル・タニがFW31に試乗した。 ただこの件は最終的に、当時まだ主要株主だったフランク・ウイリアムズとパトリック・ヘッドが売却を望まなかったため、交渉は決裂した。 これらの中東諸国は自国の将来を見据え、自動車産業における電動化の可能性を語りながらも、合成燃料の可能性を探っている。 多くの政治家や環境保護団体が2030年までの完全電動化を熱望している。しかし現実的には、内燃機関は今後も生き残っていくとみられている。しかし地球環境を考えれば、いつまでも化石燃料に頼り続けるわけにはいかない。 そこで化石燃料の代替となると期待されているのが、持続可能燃料である。そしてその持続可能燃料の大規模生産を実現することが究極の選択肢であり、実際にいくつかのコンセプトが存在する。かつてウイリアムズやマクラーレン、メルセデスでエンジニアを務めたパディ・ロウが率いるゼロ・ペトロリアムもそのひとつで、偶然にもザウバーの現スポンサーだ。 ただ、持続可能燃料を作り出すプロセスには大量の電気エネルギーが必要で、それはどこからか調達しなければならず、それがこのコンセプトを実現する上で特に大きな障壁になっている。 とはいえ輸送手段全体において、フル電動化に代わる何らかの選択肢を提示することは急務。F1は2026年から全てのマシンを100%持続可能な燃料で走らせることを約束しており、このプロジェクトにはアラムコも深く加わっている。 F1は最近、物流パートナーのDHLやカタール航空と、持続可能な航空燃料(SAF)への大規模な投資を行なうことを発表した。 これらの取り決めの詳細を調べてみると、現時点では実際のSAFを使っている割合はかなり少なく、F1は「ブック&クレーム」と呼ばれる事務処理上の工夫に頼っていることが分かる。つまりF1の貨物を運ぶ飛行機が必ずしも持続可能な燃料で動いていなくても、SAFの“環境属性”を購入し、二酸化炭素削減を主張することができるのだ。 フォーミュラEは世界最高峰の電動フォーミュラシリーズとしてFIAと独占契約を結んでおり、それは今後も10年以上続くと理解されている。つまりF1は、何らかの形で内燃機関を維持する必要性があるというわけだ。同様に、化石由来の燃料が使えないとうことになっても、既存の内燃機関搭載車を走らせ続けることで、より広範な自動車産業でビジネスを継続できる。 現在の世界的な自動車産業の混乱は、消費者の需要と立法者の理想との間にギャップが存在することを示している。そんな中で2026年からの次世代PUレギュレーションの中でより重視される電動領域を求めてF1新規参戦に踏み切ったアウディが、石油依存から脱却しようと躍起になっている国から救いの手が差し伸べられるというのは、収まりの良い話だ。 そして内燃機関の賞味期限が伸びれば、アウディとカタール双方が利益を得ることになるのだ。
Stuart Codling