なぜ若者はNHK党の「迷惑街宣とデマ」を支持したのか…「斎藤知事復活」で広がる"選挙ハック"という闇ビジネス
■欧州で広まり始めた「デジタル立憲主義」とは このような好ましからざる状況に対し、新たな規範的枠組みとして注目されているのが「デジタル立憲主義」的アプローチです。欧州で新しい潮流になっているデジタル立憲主義は、デジタルプラットフォームの影響力を踏まえ、情報空間の健全性確保に向けた新たなルール作りを目指す考え方。プラットフォーム事業者が国民に対して引き起こす違憲な社会情勢に対して、国家はプラットフォーム事業者を規制し、しかるべき国民の権利と利益を守る必要があるとするものです。 従来の「思想・言論の自由市場」論は、投票日という刻限が決まっている投票行動では特に、情報空間では必ずしも機能しません。誤情報や偽情報が瞬時に拡散され、個人がその真偽を判断することは極めて困難だからです。 「世の中が専門的すぎて、民主主義と言っても有権者は政策にも政治家にも素人すぎる中、短期間で誰がいいかを見極めて投票するのは現代では不可能になっている」(板倉先生) ■情報にも「栄養バランス」が必要という考え方 昨今、慶應義塾大学の山本龍彦教授や東京大学の鳥海不二夫教授が提唱している「情報的健康」という概念にも注目が集まっています。比喩として、食生活における栄養バランスのように、情報摂取においても適切なバランスが必要だという考え方です。 「ただし、情報の偏りは生命に直結するわけではないため、国家や行政、あるいは新聞社、NHKなどがこのようなテーマで国民の情報摂取に対しどこまでの介入が正当化されるかについては、慎重な検討が必要となる」(曽我部教授) 一方で、公共放送であり実質的に税金にも近い国民からの放送受信料で運営されているNHKの役割を堅持して、通信会社などとともに選挙や災害時に国民の知る権利を担保することもまた模索されることになるかもしれません。
■「新たな選挙ルール」を構築する必要がある では、これらの民主主義の危機とも言えるデジタル技術を駆使した「選挙ハック」にはどのような対応が可能でしょうか。 大きなひとつの方向性として、プラットフォーム事業者による適切な情報管理の仕組みづくりが挙げられます。ただし、その際には表現の自由との慎重なバランスが求められますが「選挙報道など、特定の利害が大きく絡む動画については、公職選挙法に明記するなどしてアルゴリズムを制限し、フィルターを発動させないことで公平な選挙にできるかもしれない」(鈴木教授)「公職選挙法はあくまで投票日につつがなく有権者が投票を終えられるところまでを企図した法律なので、選挙ハック的な妨害行為は厳格な対応が可能になる法律が別途必要になるのではないか」(板倉先生)などの論点が示されました。 なにより「選挙ハックはそれで儲かる仕組みになり、ガセネタでも過激な発言でもクリックになり動画が再生されればそれを流した人の利益になるビジネスモデルである以上、プラットフォーム事業者も広告利益になり悪用する陣営と共犯関係になり得る」(板倉先生)ことを考えれば、選挙に関わりのある文言については公職選挙法における選挙公報と同じく総量や流量に対する規制を早期に実現するほかないのではないかという考え方が大勢になっていくでしょう。 ■兵庫県知事選が問いかけていること また、先にも述べた通り公共放送であるNHKを含む既存メディアの役割も再定義する必要があります。「さまざまな価値観・考え方を持つ人々が、社会的に協働することの便益を分かち合う多元的な社会の実現には、質の高い情報提供の仕組みが不可欠」(曽我部教授)だからです。 どちらかというと既存マスコミを信頼しないネットユーザーからは『マスゴミ』と扱われがちな新聞社、通信社、テレビ局なども、もとをただせば巨大な装置産業として倫理基準を持ち報道内容の品質を担保してきました。しかし、若い人がもはやほとんど読んでいないような新聞社がいくらイキリ立ったところで地方紙も全国紙も経営的に維持できず休刊廃刊が相次ぐことになり得ます。必然的に、メディアの再編とNHKを中心とした国民の知る権利を担保するための仕組みを考えていかなければならなくなっていくでしょう。 NHKもまた、右からも左からも批判に晒され、くしくも立花孝志さんが政治の舞台に出る理由そのものが「NHKをぶっ壊す」だったわけですが、能登半島地震など災害時での被災住民への情報提供は結局NHKとNTT、KDDI、ソフトバンク、楽天各社の設備復興とで担ってきたことを考えれば、責任ある良質のメディアを構築し国民の情報空間を健全にしていくアプローチしかないのではないかとも言えます。 今回の兵庫県知事選は、デジタル時代における選挙と民主主義のあり方を問い直す契機となりました。表現の自由を守りながら、いかにして健全な選挙環境を確保していくか――。その答えを見いだすことは、現代の民主主義にとって喫緊の課題と言えます。これは単に技術的な問題ではなく、私たちの民主主義の根幹に関わる重要な課題なのでしょう。