阪神・木浪「めっちゃ練習したなぁ」村上「1、2年目にずっといた場所」 鳴尾浜球場25日ラストゲーム、30年の歴史に幕
1995年から2軍本拠地として使用してきた鳴尾浜球場が25日のウエスタン・ソフトバンク戦をもって、最後の試合となる。多くの先輩たちが虎風荘で暮らし、汗を流してきた場所。この地から羽ばたいた現役選手もいる。木浪や村上らが虎の穴の思い出を語った。 【写真】涙ぐむ秋山を優しい笑みを浮かべて包み込む岩崎 1軍メンバーも駆けつけた 幾多の先人たちが汗や涙を流してきた。鳴尾浜球場-。30年の歴史に幕を下ろす時が近づいている。来年からの移転に伴い、ついに公式戦のラストゲーム。何度も何度も名場面が生まれた。そして、多くの選手が羽ばたいた。 その一人が村上だ。入団から2年間は2軍で結果を残すも1軍では飛躍できなかった。「1、2年目にずっといた場所。いろいろ学ばせてもらったのは良かった」。苦い思いもした分、昨季は大ブレーク。今の自分がいるのは鳴尾浜があったから。強く、たくましく成長させてくれた。 今では1軍に欠かせない選手になったが、木浪も2軍生活は長かった。22年は1軍出場が41試合。平田2軍監督(現ヘッドコーチ)の下で鍛錬を積んだ。「2軍なので練習するのみだと思ってました」。寮生の時は深夜でも室内練習場に打球音を響かせ、練習の虫になった。「めっちゃ練習したなぁ」。プロの土台となっているのは、鳴尾浜での努力だ。 育成出身の島本や小野寺は3桁の背番号からスタートした。1軍昇格の権利すら得られず、鳴尾浜が主戦場。左腕は「あそこで育って、プロ野球人生も始まった。ほとんど鳴尾浜で過ごして、ファームなので苦しかったですけど」ともがいた。小野寺は「プロ野球のスタートを切れた場所がドラフトじゃなくて、僕は鳴尾浜だった」と独特な表現で感謝した。 原口は育成契約も経験して、はい上がった苦労人。「あの球場で泥まみれになってやっていたおかげで今がある」。部屋から一歩、外に出れば練習ができる。「自分なりに練習したつもり」と胸を張れるのも、素晴らしい環境があったからだ。 来年からは大物に移転する。30年の歴史と財産。選手らは口をそろえて「さみしい」と言った。それでも、鳴尾浜での思い出や努力が消えることはない。今後も鳴尾浜は語り継がれていく。(デイリースポーツ・今西大翔) ◆阪神鳴尾浜球場 兵庫県西宮市にある阪神2軍の本拠地。選手寮、室内練習場が隣接しており、愛称は「タイガース・デン」。1994年10月に開場した。両翼96メートル、中堅120メートルで収容人員は500人。施設の老朽化に伴い、今季限りで閉鎖され、2軍本拠地は来年3月に同県尼崎市に開場する「ゼロカーボンベースボールパーク」に移転する。