夫を殺害した男性は、心神喪失で不起訴になった。裁判官と受け答えができていたのに…「どうして殺されたの?」真相を求める遺族の苦悩は続く
2019年2月、東京都渋谷区の児童養護施設で施設長の大森信也さん=当時(46)=が刺殺された。逮捕されたのは、元施設入所者の20代男性。殺人容疑で送検されたが、心神喪失と判断され不起訴処分となった。 命の大切さ訴える犯罪被害者の母、鹿児島 中高生に20回以上、遺族の思い伝え続け
同年7月、妻の真理子さん(56)は男性の治療の処遇を決める審判で、初めて姿を目にした。驚いたことに、裁判官の質問に問題なく受け答えしている。 「なぜこれで心神喪失なのか」 刑事事件の被告は、心神喪失と判断されると罪を問われず、治療を受ける。さらに治療後の社会復帰促進まで検討することが「心神喪失者等医療観察法」で定められている。 ただ、被害者や遺族はやり切れない。公開される情報は限られ、加害者の権利が重視されているように感じる。裁判が開かれず真相解明の機会もない。 「なぜ夫は殺されたのか」「男性の治療はどうなっているのか」 事件から5年がたった今も、真理子さんの苦悩は続いている。(共同通信=櫛部紗永) ▽入所者を支え続けた夫 信也さんが働いていた「児童養護施設」は、さまざまな事情で親元を離れた子どもたちが暮らす。職員は養育を手助けしながら生活を共にし、退所後には自立をサポートする。
信也さんは真面目で正義感が強かった。入所する子どもたちと一生懸命に向き合い、休日によくキャンプやサイクリングに出かけた。入所者には「父親のような存在」と慕われ、児童養護関係者からは「次世代のリーダー」と期待された。厚い信頼を寄せられた施設長だった。 逮捕された男性は、信也さんが長く支えた入所者の一人だった。12年、母親の養育困難を理由に入所。高校時代を施設で過ごし、15年に18歳で退所した。アパート契約では信也さんが連帯保証人を引き受けた。壁を壊すトラブルを起こした際も、100万円を超える修繕費を個人で肩代わりしようとした。 事件数カ月前、男性は家賃の滞納などで住んでいた家を失い、職場から失踪。行方が分からなくなった。2月25日午後、突然施設を訪れ、勤務中だった大森さんを殺害。現行犯逮捕された。 「夫が気に掛けていた子が突然どうして」。真理子さんに心当たりはなく、ただただ信じられなかった。