創建年代は不詳!? 古代の信仰跡が残る、織田信長も祈願した手力雄神社にてランパンプスが合格祈願!
受験生を“みんな“で応援!『おうえんしナイト』 全国の受験生を応援するために、受験や教育と縁が深い、お笑い芸人・ランパンプスと一緒に様々な情報をWebコンテンツとして発信していく企画です。
全国の受験生を応援する『おうえんしナイト』、今回は岐阜県各務原市にある「手力雄神社」にやってきました。織田信長と所縁の深い、手力雄神社にてランパンプスが合格祈願してまいります。
――それでは境内に入って禰宜の浅野将伯さんにお話を聞いてみましょう。
浅野:浅野と申します。よろしくお願いいたします。 寺内:ランパンプスと申します。よろしくお願いいたします。 小林:早速ですが、手力雄神社さんの創建の歴史を教えてください。 浅野:実は、手力雄神社の創建は不詳ということになっております。ただ、この境内地には、古墳が残っていたり、一番奥のお山の上には「みてぐら岩」というお岩がございまして、真幣明神(みてぐらみょうじん)というお名前を当てられ、お祀りをされていた「磐座祭祀(いわくらさいし)」という古代の祀り跡になっているんです。
寺内:元々の日本の信仰スタイルですね。 浅野:土地柄を見ますと、この各務原という地域は、昔は美濃国でございまして、関ヶ原の戦いや、壬申の乱の際に「東西の抜け道の要所を抑える」ということや、山を抜けて、関東、東北、飛騨の道に抜けていく東山道ですので、大きな勢力が来た時の、第一防衛ラインになっていましたので、1400~1500年前にはかなりの地方豪族が置かれていたんです。 小林:今は、東京大阪をつなぐ道は東海道だけど、当時はこの辺が主要な道だったんですね。 浅野:その名残が豪族のお墓、つまり、古墳として、現在は2基だけ文化財として残っているんですが、もともとはこの神社を含めて16基の古墳が並んでおりました。後の時代になりまして、そうやって祈りがずっと捧げられていた場所に「神社」という形を持ってお祀りされてきたのが、今は主祭神であられる手力雄神様をはじめ、わきに八座控えて、地域の神々がお祀りされるようになったというような歴史がございます。 寺内:日本地図の土地感がないんですけど、関ヶ原から見て関東寄りに位置するんですか? 浅野:西の方ですね。滋賀県に接しているので、文化としては、いろんな言葉が交わる場所になっております。