創建年代は不詳!? 古代の信仰跡が残る、織田信長も祈願した手力雄神社にてランパンプスが合格祈願!
寺内:そうなの(笑)? 手を使う競技って例えばなんですか? 浅野:この間、琴櫻関がお越しになられましたよ。手力雄神は場所によっては相撲三神の一神に加えられることもございます。
寺内:なぜ、地域の様々な信仰とタヂカラオノミコト様を一緒に祀ることになったんですか? 浅野:タヂカラオノミコトは、非常に古い神様なんです。伝承を辿りますと、お伊勢様の内宮天照様のお脇に控えている相殿神におられたり、長野県の戸隠神社に祀られて奥宮に祀られております天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)も同じ神様になります。 寺内:「岩放り投げて、そこが戸隠になりました」みたいな伝説のやつですよね。 浅野:この神社は、最初に、真幣明神(みてぐらみょうじん)を主祭神として、美濃国の神名帳という書物に出てくるんですが、途中でタヂカラオの神様に主祭神が変わっているんです。歴史を紐解きますと、神祇奉斎という難しい言葉がありまして、正当な神様をお祀りしている神社の社格が上がっていく時代がありましたので、神話に出てくる、しかも、古事記よりも正式な歴史書として作られた日本書紀のお名前を当てておりますことを鑑みますと、時代背景も見えるかなと。
寺内:いつのまにかそうなっていたけれど、歴史を紐解くとその由来が考察できるんですね。 小林:織田信長とはどんな関係があるんですか? 浅野:尾張に織田家がおりまして、尾張国と美濃国は、ひたすら領土を争っており、信長公だけでなく織田家三代にわたって、ずっと美濃攻めをしていました。関ヶ原は都からすると最終関門ですので、信長公も同じように攻め入ったのです。 寺内:やはり美濃が欲しいんですね。 浅野:しかも、この地域は、岐阜城がちょうど見える各務野台地の高台ですので「次の陣を取って、またさらに」というための要所になります。手力雄神社に信長公が攻め入ったところ、「境内にて馬に乗っていた信長公の体が痺れて動けなくなって落ちてしまった」という逸話があるんです。 小林:あの魔王が!? 寺内:あのマントマンが!?