世界史的に見る「ウクライナ危機」 歴史の潮目は変わったのか /国際政治学者・六辻彰二
2014年3月18日、ロシアがクリミアを併合しました。これは各国の警戒を強め、「新冷戦」や「新帝国主義」の言葉も飛び交うなど、ヨーロッパは第二次世界大戦終結後、最大の危機を迎えているともいわれます。変動するウクライナ情勢は、歴史的にどのように位置づけられるのでしょうか。帝国主義時代、冷戦時代と比較しながら考えます。 【画像】「ウクライナ連邦」化はロシアと欧米の落とし所になるか
そもそもウクライナ危機とは
ウクライナ危機の直接的なきっかけは、2013年12月にEUがウクライナを含む旧ソ連6か国に対して、EU加盟を視野に入れた「東方パートナーシップ首脳会合」を呼びかけたことでした。当時のヤヌコーヴィチ大統領は一旦参加を決定しましたが、自らの「縄張り」を失うことを警戒するロシアからの買収や威圧を受けて、後にそれを撤回。これに、ロシアの影響から逃れたい親欧米派が反発。抗議デモが暴徒化し、各地で政府庁舎などが占拠されるなか、ヤヌコーヴィチ大統領も亡命し、ウクライナ全土が無政府状態に陥りました。 その中で2014年2月27日、ロシア系住民が多いクリミア半島では、親ロシア派の武装集団が地方議会を占拠。混乱のなか、親ロシア派から「クリミアのロシア系人の保護」の要請を受け、3月1日にロシア軍がクリミアへの展開を開始。欧米諸国はこれを非難しましたが、ウクライナ軍が戦闘を避けて撤退し、ロシア軍が治安を事実上掌握した中で、独立を問う住民投票が実施され、それを受けてロシアはクリミアを併合したのです。 これと前後して、ウクライナ東部ドネツク州では親ロシア派がやはり市庁舎を占拠して、4月7日に「ドネツク自治共和国」の建国を宣言。5月11日には完全な独立国家になることの賛否を問う住民投票が行われ、9割の賛成を得たと親ロシア派の選挙管理委員会が発表。その上でロシア政府に併合を求めましたが、ロシアはドネツク併合に踏み切っていません。 一方、5月25日のウクライナ大統領選挙で当選したポロシェンコ氏は、ドネツクの武装勢力を「テロ組織」と認定。ウクライナ軍が親ロシア派への攻勢を強めました。しかし、8月28日にポロシェンコ大統領はドネツクに1000人のロシア軍が侵入していると発表。ロシア政府は「パトロール中の事故」と釈明しましたが、ウクライナや欧米諸国は非難を強めました。その一方で、ロシアの直接介入でウクライナ軍は後退。9月5日にウクライナ政府と親ロシア派が停戦に合意したのです。