世界史的に見る「ウクライナ危機」 歴史の潮目は変わったのか /国際政治学者・六辻彰二
新しい「冷戦」時代なのか
その一方で、ウクライナ危機には冷戦時代との類似性もあります。 帝国主義時代と比較した冷戦時代の主な特徴をあげると、 ・核兵器の開発などにより戦争のコストが高くなりすぎたため、大国同士が全面衝突を避けるようになったこと、 ・冷戦期の東西両陣営は、経済圏ではなく、友好国の確保を通じたイデオロギー圏の拡大を目指し、宇宙開発レースや世界的なスポーツ大会でのメダル数争いなどを含めた宣伝戦が激化したこと、 ・どちらの陣営に属するかが明確になった国に対して、相手陣営はほとんど関与しなくなり、それが結果的に両陣営の「住み分け」を可能にした(ヴェトナム戦争後のインドシナ3か国と米国など)こと、があげられます。 このうち、特に最初の点は、ウクライナ危機でもみられる特徴です。 冷戦期、少なくとも大国同士の間では、核兵器に代表されるように、軍事力は「大規模に行使する」より「見せつけたり、小規模に使用したりすることで相手に方針を変更させる」ことが主な役割となりました。一方、米ソいずれかが第三国で大々的に軍事行動を起こした場合、もう片方は相手を非難し、これと敵対する勢力を支援しながらも、直接の軍事的関与は避けました(ヴェトナム戦争やアフガニスタン侵攻など)。 ロシアはドネツクに直接介入する一方、ウクライナ危機に関して公式には「即時停戦」、「全ての勢力間の無条件の対話」、「高度な連邦制の採用」を提案し続けました。これは、ロシア系住民の人口が過半数に届かないドネツクを併合して欧米諸国とさらに対立を深めるよりむしろ、親ロシア派の影響力を保たせてウクライナ全土が欧米圏に組み込まれることを避ける方針といえるでしょう。9月16日、ウクライナ政府はドネツクに「特別な地位」を2年間認め、親ロシア派に配慮を示しました。限定的とはいえロシアの直接介入は、親ロシア派との停戦や協議に消極的だったポロシェンコ大統領に、方針転換を余儀なくさせる圧力になったのです。 その一方で、同じく16日にウクライナ議会はEUとの政治、貿易に関する連合協定に調印を決定。さらに、それに先立って8月29日には、ヤツェニュク首相がNATO加盟の是非を問う住民投票を10月26日に実施すると発表。ロシアの圧力が強まる中、ウクライナ政府は欧米諸国への傾斜を強めています。 しかし、それに対する欧米諸国の反応は、ウクライナ政府の期待と隔たりがあります。9月20日、NATOはウクライナで合同軍事演習を行ってロシア軍をけん制しましたが、その前日19日、ポロシェンコ大統領と会談したオバマ大統領は4600万ドルの軍事支援を約束したものの、ウクライナ政府が求めた「NATO外の特別な同盟国」の地位を与えることを拒絶。ヨーロッパでも、かつてソ連の一部だったバルト3国を中心にロシアへの強硬意見があがっているものの、ドイツのメルケル首相は9月4日のNATO首脳会合を前に「ウクライナの加盟はNATOの主要議題でない」と明言。ウクライナを「同盟国」にしないことで大国間の全面衝突を避ける姿勢は、冷戦時代に共通する行動パターンといえます。