世界史的に見る「ウクライナ危機」 歴史の潮目は変わったのか /国際政治学者・六辻彰二
「帝国主義」時代の復活なのか
ウクライナ危機をきっかけに、欧米諸国のメディアではロシアの行動を「帝国主義」と形容されることが珍しくありません。その多くは、「軍事力を用いてでも勢力圏を拡大すること」というニュアンスで「帝国主義」の語を用いています。 第一次(1914~1918)、第二次(1939~1945)の両世界大戦だけでなく、19世紀から20世紀の前半にかけて、列強間の戦争は絶えませんでしたが、その大きな背景としては、 ・列強は自らの経済成長のために、農産物などを独占的に手に入れる供給地であるともに、本国の工業製品を売りさばく市場でもある植民地を必要としたこと、 ・しかし、植民地争奪戦の結果、20世紀の初めにはもはや植民地にできる土地が少なくなり、これが逆に列強間の対立を加熱させたこと、 ・格差や貧困を背景に、列強の内部ではナショナリズムが高揚し、国民が政府に海外進出を求めたこと、などがあります。 軍事力とナショナリズムを背景とするロシアのクリミア併合は、当時の列強の行動パターンに近いものといえるでしょう。その一方で、帝国主義時代との類似性は、ウクライナ危機の構図そのものにも見受けられます。 もともと、ウクライナを含む旧ソ連圏ヨーロッパ諸国は、西欧とロシアの緩衝地帯でした。冷戦末期には、西側の影響力が広がることを懸念するソ連に、米国や西ドイツが「NATOの東方拡大はない」と説得した経緯があります。 しかしその後、東欧諸国からの要請のもと、NATOとEUはなし崩し的に東方に拡大。冷戦終結段階で16か国だったNATO加盟国は、2009年までに28か国にまで増加しました。その中で、米国主導のNATOはウクライナの加盟申請を事実上断り続けましたが、それはロシアを刺激しすぎることを恐れたためでした。一方、EUは1993年の発足当初12か国でしたが、近年では基準を緩和してでも加盟国を増やしており、2013年7月には「人権状況や汚職に問題がある」とされながらもクロアチアの28番目の加盟が実現しました。 冷戦終結後のグローバル化は当初、「世界が一つの経済圏になる」と想定されていました。しかし、競争が非常に厳しくなる中、各国は確実な利益を目指してFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)に向かうようになりました。特に2008年の金融危機で大打撃を受けたEUにとって、加盟国増加を念頭に置いた東方拡大は経済回復を図る手段ですが、これがロシアには経済圏の浸食と映ります。政治的にデリケートな旧ソ連圏にまでEUが手を広げ、これがロシアからの強い反発を招いたことは、「限りある経済圏」をめぐって争った帝国主義時代と共通する構図といえます。