「地元組」こだわりに限界感じ受け入れた留学生…批判の声は認識「勝って当然と見られる覚悟も決めている」
福岡・福岡第一高の男子バスケットボール部は、インターハイ(全国高校総体)で4度、ウインターカップ(現・全国高校選手権)で5度の優勝を果たした強豪だ。「勝ちながら、いかに心を育てるか」。1994年の創部以来、チームを率いてきた監督の井手口孝さんは、今もコートで生徒に寄り添う。 【写真】「日本一にしてあげたい」。熱い思いで選手を指揮する井手口さん(10月5日、福岡県飯塚市で)=足立浩史撮影
今では県外からも多くの選手が集まる福岡第一高だが、発足当初は地元の中学生たちばかりだった。「俺のバスケなら、地元の子たちだけで強いチームが作れる」。自負もあった。
チームづくりの転機を迎えたのは2001年に熊本で開かれたインターハイだった。ほとんどの選手の身長は1メートル70台ながら、同高のプレースタイルの原型ともいえる豊富な運動量を生かした激しいディフェンスと速攻で勝ち上がった。
初めて臨んだ3回戦で強豪の福井・北陸高に敗れた。この試合、こぼれたボールを捕ろうと飛び込んだ選手が、相手の留学生選手に踏まれるアクシデントがあった。選手の体格差と歯が立たなかった結果に、「ああ、ここまでかな」。こだわってきた“地元組”のチームに限界を感じるようになった。
翌年、初めて県外から選手を受け入れた。1期生は、新潟・本丸中で指導していた大学時代の盟友・富樫英樹さん(62)の教え子で、全国大会でも活躍した生徒だった。さらに次の年には、セネガルからの留学生2人が入学。選手をそろえて勝負に徹する方針に転換した。
新戦力が加わったチームは04年にインターハイを制し、初めて日本一となった。
ところが、留学生の活躍は思わぬ事態も招いた。実際の年齢が違うのではないかと疑義が持ち上がり、ライバル校や全国高校体育連盟を巻き込む問題に発展した。単身でセネガルに足を運び、競技協会や親族に確認を取ったが、年齢を示す情報は二転三転した。最終的に初のインターハイ優勝は11年に取り消された。
トラブルも生んだ留学生の受け入れだったが、福岡第一高には今も毎年入学し、主力として活躍している。「身長2メートル級の選手を国内だけで集めるのは難しい。バスケの裾野を広げる意味でも、先々に世界で戦うことを考えても、留学生の存在はプラスになる」。起用への批判の声があることも認識しているが、「『勝って当然』と見られる覚悟も決めている」。