名取裕子「パニック障害と更年期障害を発症、支えは愛犬だった。14歳で母を亡くし料理は得意。ぼっち歴52年も、おいしいものを食べる時間があれば」
◆万全を期していると思っても こうして毎日機嫌よく過ごしていますが、振り返れば思い通りにいかない時期もありました。私が38歳のときに父が亡くなり、その直後に継母がアルツハイマー型認知症を発症。と同時に、それまで親に丸投げだったお金の管理が、ドーンとのしかかってきたのです。 自分がいくら持っているのか、税金をどう支払うのかさえわからない状態でした。両親のために26歳で建てた家があるから安心だと思っていたら、こんなに早く父の死と継母の病に直面するなんて。万全を期していると思っても、人生に盤石なんてないのだと痛感しました。 大雑把な私にとって、この現実は受け止めきれないほど大問題! でも、どんなに大きい問題も、崩して小分けにすれば解決できると気がついて。経理に関しては、レシートを日にちごとに管理して税理士に渡したり、銀行口座を整理したり。本当に初歩的なことですが、目の前の問題に一つずつ向き合っていきました。 そして、当時持っていた山小屋やリゾートマンションは処分。両親の家も、病状の進む継母が管理できないことは明らかでした。いっそ誰かに活用してもらったほうが家も喜ぶと考え、思い切って手放すことに。 引き渡しの際、「いいことがたくさんあった家なので、どうぞお幸せに暮らしてください」と直接お伝えできたこともあり、まったく後悔はありません。 あのとき不動産をできるだけ少なくして、身軽に生きていく方向に舵を切ったのは正解でした。持ち物が多すぎると自分が溺れてしまいますし、余計なものを省くことで、自分にとって大切なことも見えてくる。着物など女優として必要なものにはお金をかけていますが、自分の生活はごく自然にダウンサイジングすることができたのです。
◆愛犬の存在に助けられて ただ、災難は重なるもので、同じ時期に自分の病気とも向き合うことになりました。継母は早い段階で施設に入所していたとはいえ、私は父の死のショックや仕事の疲労がきっかけで、パニック障害と更年期障害を発症してしまって。新幹線やエレベーターの扉が閉まると息ができなくなることもありました。 あのとき、どうやって抜け出したのかしら――。喉元を過ぎれば忘れてしまうタチなので詳しく覚えていないのですが、あまり抗わなかった気がします。気持ちが落ち込んでも、底まで沈めば自然に浮いてくると思っていましたね。 だって人間の体は、そうやってできているから。それに日本であれば、どこかで倒れても誰かが助けてくれるでしょう。(笑) 一番大きかったのは、愛犬の存在です。当時、飼っていた犬に子どもが生まれたばかりで。ベッドから起き上がるのがつらい日でも、エサをあげるために元気を振り絞ることができたし、地方ロケに行くときも、「私が帰らないと」と思えば飛行機にも乗ることができた。落ち込む暇もなく世話をしていたら、次第に症状も治まったのです。 親との別れや闘病を通して学んだのは、弱い自分を認めてあげて、少しずつ改善していけばいいのだということ。そしてどんなに小さなことでも、何か達成したら自分を褒めてあげる。 たとえば、落ち込んで部屋がぐちゃぐちゃになっても、1日10個ゴミを捨てられたらそれで十分。「いまはこれが精一杯!」なんて泣き言を言いながら片づけていると、周りにいる人たちが笑ってくれるんです。 人間は強い生き物だけれど、同時にとても弱い部分もある。困ったときは、助けを求めるに限ります。だから私は、日頃から人に弱みを見せるようになりました。そして大好きな友だちに、いつも助けてもらっています。(笑)