ダ・ヴィンチ・コードで物議を醸した「最後の晩餐」の謎…女性のような弟子は誰なのか?
● キリストと男と女の三角関係が 観衆の想像力を掻き立てた さらに、ピエロ・ディ・コジモ(1462頃-1521)の美しいタブロー画(1504年、ホノルル美術館)になると、一目見ただけではどちらなのか即断しがたいところがある。その表情はあどけない少女のようにも少年のようにも見える。 決め手となるのは場面の左手前にある、蛇のいる杯で、これは図像的に使徒にして福音書記者ヨハネのアトリビュート(持物)とされてきた。 というのも、やはりウォラギネの『黄金伝説』によると、イエスの信任厚いヨハネは、毒杯による暗殺計画に巻き込まれたことがあるのだが、それをも跳ね返すほどの力があったからである。 とはいえ、マグダラのマリアも、イエスの遺体をぬぐう香油の壺とともに描かれてきたから、杯と壺の違いはあるとしても、2人のアトリビュートもよく似ているといえば似ているのである。 参考までに、やはりピエロ・ディ・コジモがほぼ同じころに描いた美しい《マグダラのマリア》(ローマ、バルベリーニ宮国立古典絵画館)を並べて掲載しておこう。真珠の髪飾りを外して、垂れた髪をもう少しだけ短くすると、同じモデルではないかと思われるほど、ヨハネと瓜二つに見えないだろうか。
このように、マグダラのマリアに見紛うようなヨハネの単体像の例も少なくはないが、ここではもうひとつ、ダ・ヴィンチの弟子であったジャンピエトリーノ(活躍期1495-1549)の作品(1530年頃、ミラノ、アンブロジアーナ絵画館)を挙げるにとどめよう。 この絵では、杯のなかに蛇は描かれておらず、モデルはもっぱら師ダ・ヴィンチのトレードマークである謎めいた微笑みを返しているだけだから、ヨハネなのかマグダラのマリアなのか一見したところ区別がつきにくいことになる。 ヨハネをめぐるジェンダーのあいまいさは、おそらく画家自身によって最初から意図されていたものであったろうと想像される。ひるがえって言うなら、このことは、そうしたあいまいさをむしろ楽しむパトロンや観衆が存在したということでもあるだろう。 こうした表現が出てくる背景には、古くから人々の想像力のなかで、イエスとの愛をめぐって、使徒ヨハネとマグダラのマリアとのあいだで、三角関係にも似た葛藤のストーリーが語られてきたという経緯があったように思われる。それもこれも、イエスとのどこかクィアな愛が原因しているのだ。
岡田温司