ダ・ヴィンチ・コードで物議を醸した「最後の晩餐」の謎…女性のような弟子は誰なのか?
● 「最後の晩餐」に隠された ヨハネとイエスの関係 それどころかむしろ、「最後の晩餐」のテーマにおいてヨハネは伝統的に、女性的とまでは言わないとしても、使徒のなかでいちばん若くて白皙で、イエスのすぐとなりにいてイエスに寄り添うような姿で描かれてきたのである。 たとえば、ジョット(1267頃-1337)のフレスコ画(1-4、1303-05年、パドヴァ、スクロヴェーニ礼拝堂)がそのいい例である。他の使徒とくらべてひときわ若い少年のようなヨハネは、イエスの胸を借りるようにして穏やかにまどろんでいる。 しかも、この絵だけではない。同様の作例は、寝入ったようなヨハネをイエスが抱きかかえているデューラーの木版画(1-5、1508年、『小受難伝』より)をはじめとして、中世からバロック期に至るまで比較的数多く挙げることができるのである。同じデューラーの別の木版画(1-6、1510年、『大受難伝』より)でも、イエスは若いヨハネをまるで守るかのようにして右腕でしっかりと抱きかかえている。 それゆえ、むしろこうした図像こそが「最後の晩餐」の慣例となっていた、と考えるほうが妥当である。このテーマにおいて、イエスと弟子ヨハネの親密さがことさら強調されてきたといっても過言ではないのだ。
● 死の間際でヨハネが語った 「私は結婚したかったのに……」 ところで、とりわけ初期キリスト教の時代には、聖書のなかに収められている文書とは別に、外典や偽書と呼ばれる数多くの文書が記されたことは、皆さんもご存じであろう。 それらは、しばしば異端視されてきたものだが、本来キリスト教には正統とされてきたもの以外にも、いかに多彩な考え方があったのかを伝えてくれる貴重な証言になっている。 ことヨハネに関しても外典が存在している。2世紀の末に成立したとされる『ヨハネ行伝』がそれである(著者はもちろんヨハネ本人ではない)。 異端として排斥されたグノーシス主義の影響が濃いとされるこの『ヨハネ行伝』において、とりわけわたしたちの文脈で興味深いのは、死を覚悟したヨハネが、天にいる主キリストに向かって次のように祈る最後の数節(113-115)である。 そこには、自分が女性との交わりを断ち、3度も結婚を思いとどまったのは、キリストへの信仰のゆえであったことが切々と告白されているのである。