知られざる「木製バット・トップメーカー」の31歳職人、野球人口が急減する中で挑む新市場創出
「そのバット材の卸先が、今、僕がいる野球用のバットの専門メーカーの株式会社白惣だったんです。カナダでのバット作りの修行が終わって、誘いもあったので入社することにしました。今から8年前ですね。 株式会社白惣は、自社ブランドのバットも一部作っていますが、大部分はOEMです。でも材料の保有数もバットの生産量も日本一です」 ■ 業界最大のOEMメーカー ここで日本の野球バット産業の歴史に触れておこう。1872年にお雇い外国人ホーレス・ウィルソンによってもたらされた野球だが、バットの国内生産は1900年頃に始まり明治の終わり(1912年頃)には2万本程度が出荷されていた。その後大学野球や甲子園大会などで野球ブームが訪れ、1932年には40万本も作られていた。 戦後、プロ野球人気の高まりとともに、バットの生産量は飛躍的に高まり、1966年には350万本に達したと言う。 しかし1974年、高校野球が用具代の軽減を目的として金属バットを導入すると、木製バットの生産量は激減し35万本台となる。以後も30万本前後で推移している。 原材料は、戦前は主として北海道産のトネリコが使用されたが、国産のアオダモ・ヤチダモ・ホオノキを使った時代を経て、今は北米産のシュガーメイプル、中国産メープルが主流で、一部、北海道産イタヤカエデも使われている。 大手メーカーを除いて野球用品の多くは、OEMで生産されている。メーカーがアドバイザリースタッフとしてプロ野球選手と契約、その選手モデルのグローブやバットなど用具のデザイン、仕様が決まると、多くのメーカーがそれをOEMとして下請けメーカーに発注している。株式会社白惣は、木製バット業界で最大のOEMメーカーなのだ。
「OEMというのは、僕らが作ったバットにメーカーの利益が乗るわけですから、当然、単価は安いです。またメーカーの都合で、受注量が決まります。もっと増やしたいと思っても、こちらの言い分は通りません。最近はメーカーが、野球事業から突然撤退するようなこともありますが、そうなれば、一瞬でその売り上げは飛んでしまいます。 そういう状況を打破するために、独自の『SPARK』というブランドを作って、国内メーカーさんと競合しないアメリカで売り出そうとしたのですが、商標でバッティングするところがあったうえに、アメリカでは『なぜ日本のバットを使う必要があるんだ』と評価されなかったんです」 ■ 難しい市場開拓 アメリカのバット市場には、ミズノ、SSKが進出しているが、それ以外のメーカーはほとんど食い込めていない。 しかし野球の競技人口は減少している。会社の将来、そしてバット職人という仕事の将来のためにも活路を見出さないといけない。 松本氏は会社と相談してHAKUSOH BAT JAPANという別会社を立ち上げ、独自のブランドで勝負することにした。 とはいっても、取引は続いているから既存メーカーと競合するわけにはいかない。新たな市場を求めて、松本氏の試行錯誤が続いている。