引退から「四半世紀近く」経つのに突然生き生きと語りだす...「伝説の一条」を記者も驚愕の「ストリッパーの顔」にした意外な人物
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第117回 『心臓が苦しくなったのに「歩いて」消防署へ…元・伝説のストリッパーが救急車を呼ばなかった背景にあった「ある気遣い」とは』より続く
梅雨のある日の訪問
キューバの取材は大阪選出代議士の同行だった。ソ連が91年に崩壊し、後ろ盾を失ったこの国は困窮する。米国の制裁下、日本を含む国際社会からの支援や投資を期待していた。そのため、ひょっとするとカストロが代議士との会見に応じるかもしれない。その機にインタビューできれば、ニュース価値はある。 キューバ政府がいずれ自国のスポーツ選手の国外でのプロ活動を認めるとの観測が、強まっていた。野球大国のキューバにはすばらしい選手が多い。日本のプロ球団も情報を収集していた。この問題についてカストロから聞き出すだけでも、インタビューの値打ちはある。しかし、彼は姿を見せず、結局は空振りに終わった。 達成感のない取材から帰った私は、一条を訪ねた。梅雨はまだ明けていない。この日も朝から曇り空で、彼女を訪ねるころには雨になった。 新今宮駅から歩いて解放会館に向かう。雨が道路を濡らし、この街の臭いを消していた。
先に来ていた訪問者たち
302号室の前に立つと、なかから話し声がする。こんなことは初めてだ。木製の扉をノックする。 「はーい、どうぞ」 一条の弾むような声が返ってきた。扉を開けてなかに入る。一条のほかに女性が2人いた。1人は加藤詩子だった。私は「はじめまして」とあいさつする。 「こちらこそ、はじめまして」 もう一人の女性はあいさつもそこそこに、横になった。歳は一条よりも上のようだ。酔っていたのか、すぐにすやすや眠ってしまった。一条が見下すように言った。 「西成の女やから」 私はキューバで香水を買ってきた。それを渡すと、彼女はすぐに開封し、左手の甲に一滴振り掛け、鼻を近づけた。 「ふーん、いい匂いやね」 一条は若いころ、化粧を楽しんだはずだ。私が訪ねるようになってから、彼女の部屋で化粧品を見なかった。狭い部屋に、しばらく香水が薫っていた。
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