「お前、トレードって出てるぞ」“度会トレード”報道に先輩選手が猛抗議…ヤクルトを支えた「日本一のムードメーカー」DeNA度会隆輝の父の“愛され伝説”
面白い声出しに「賞金」
底抜けの明るさで自らムードメーカー役を買って出た。ベンチからひと際通る大声で繰り出すその「声出し」は、ヤクルトの“名物”とも言われた。 「当時のチームはものすごく明るくて、練習中でも試合中でも、何か面白いことを言ったら賞金が出たんです。気の利いた一言とか、みんなを笑わせる声出しをすると、『今の面白い! 200円! 』っていう感じでメモ帳につけて。遅刻やポカをしたら罰金もあってだいたいの選手はマイナスになるんですが、僕の場合は声出し効果で収支がプラスになっていたことが多かったです(笑)」 2001年に加入したアレックス・ラミレス(元DeNA監督)の代名詞となった「アイーン」のポーズを“仕込んだ”のも度会さんだ。明るく前向きな脇役の存在はチームの大きな戦力となり、ヤクルトは日本一となった01年から4年連続Aクラスと盤石の強さを誇った。
突然の「トレード報道」に…
しかし、そんな“日本一のムードメーカー”に突然のトレード報道が降って湧いた。03年5月19日、スポーツ紙がダイエー(現ソフトバンク)の左腕・篠原貴行との交換トレードの可能性を報じた。 「朝起きたら『トレードって出てるぞ』と色々な人から連絡をもらってビックリしましたね。前の年に次男(隆輝)が生まれたばかりだったので、家族とはみんなで福岡に行こうか、どうしようか、という話もして……。結局トレードはなかったですけど、交換相手と報じられた篠原投手は今DeNAのスカウトをやっていて、隆輝が入団する時に挨拶をしたんですよ。不思議な縁ですよね」 実はこの時、チームの中にはトレード報道に激怒して「度会流出は絶対に止めたる!」と声をあげた選手たちも多かったという。結局、移籍話は誤報だったが、“日本一のムードメーカー”がどれだけ愛されていたか分かる出来事でもあった。
引退セレモニーで隆輝が号泣した理由
そんな度会さんが引退を決断をしたのは2008年。夏の終わり頃に真中満(元ヤクルト監督)とともに編成担当に呼ばれて意向を聞かれた。他球団で現役続行する考えもよぎったが、最終的には愛するスワローズでユニフォームを脱ぐことを決めた。 「素晴らしい方たちと沢山出会えて、本当にいい野球人生だったと思います。とにかくクビにならないようにと最初は必死でしたが、そこから15年も現役でやれたなんて......本当に幸せだと思っています」 プロ15年間で通算527試合に出場。チームに欠かせないユーティリティープレーヤーであり、「日本一のムードメーカー」のポジションを極めた男の引退試合は10月12日の横浜戦だった。セレモニーの始球式では、投手役を長男、捕手役を当時6歳の隆輝がつとめた。 「兄貴の方はずっと大泣きしていました。ふと見たら隆輝も泣いていたんですが、よくよく聞いてみると、上から降ってきた紙テープで指を切って、その痛みで泣いていたみたい(笑)」
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