「お前、トレードって出てるぞ」“度会トレード”報道に先輩選手が猛抗議…ヤクルトを支えた「日本一のムードメーカー」DeNA度会隆輝の父の“愛され伝説”
東京ヤクルトスワローズの黄金期にユーティリティープレーヤーとしてチームを支えた度会博文さん(現・球団職員)。NumberWebのインタビュー後編は、故・野村克也監督との忘れ得ぬ思い出、“日本一のムードメーカー”と言われた当時の秘話を聞いた。次男で横浜DeNAベイスターズのドラフト1位ルーキー・度会隆輝外野手にも脈々と流れる、底抜けに明るいDNAの源流とは--。〈全2回の後編/前編も公開中です〉 【秘蔵写真】「目元がソックリ!」DeNA度会隆輝の父・博文さんが息子と同じ二十代だった頃の青春フォトを見る…黄金期ヤクルトの懐かし写真も一気に プロ5年目の1998年、初めて開幕一軍のチャンスを掴んだ度会さんは、左足首の怪我を隠して強行出場しアピールを続けていた。その思いが実ったのは5月14日、神宮球場の広島戦だ。3―3で迎えた9回裏、広島のクローザー、佐々岡真司のカーブを捉えてレフトスタンド中段に運んだ。人生で初のサヨナラホームランだった。 歓喜の輪に飛び込むと、度会さんはすぐにベンチを覗き込み、野村監督の姿を探した。故障に気づきながらもその意気込みを買って起用を続けてきた指揮官は、相好を崩していた。度会さんの頭を軽くはたき、がっちりと両手を握った。 「あの時はガムシャラでしたね。『お前を外さねえから』と言ってくれていた野村監督も本当に喜んでくれました。ベンチからクラブハウスに戻る途中、お立ち台でヒーローインタビューを受けている僕の姿を覗き込んで、ニヤッと笑いかけてくれたのを覚えています」
「努力するしかない」
5月中旬までに4本塁打を放つなど鮮烈な印象を残したが、レギュラーを獲るのは至難の業だった。内野は池山、土橋、宮本とスター揃いで、外野も稲葉篤紀や飯田哲也ががっちりと固める。ベンチには小早川毅彦や辻発彦まで控えているという強烈な顔ぶれのなか、度会さんは一軍に食らいついていった。野村監督の心を捉えていたのは、その必死さと直向きに努力を重ねる姿勢だった。 「すごい人に追いつくためには、ひたすら努力するしかない。バットはとにかく振りました。他の選手が100振るんだったら、自分は300振って自信をつけるというやり方しかなかった。野村さんも若い頃から手がマメだらけだったと聞きました。陰で一生懸命努力したからこそ、あそこまで凄い選手になった。地道な努力が一番の近道。その言葉は本当だと思います」
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