「大規模災害時には『119』はつながらない」34年前の惨事からボランティアを続ける防災士の原点
「災害ボランティア」という言葉すらもなかった頃から、その“先駆者”としてボランティアとして活動する男性がいる。その長年の功績が認められ内閣総理大臣表彰を受賞した男性の活動の原点は「お互い様の心」だった。 【画像】「大規模災害では「119」から助けはこない」防災士が伝える「災害から身を守る方法」
平成の大噴火から始まった使命
長崎・南島原市で防災士として活動する旭芳郎さん(70)は、災害ボランティアの先駆者として、その功績が認められ、2024年10月に防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞した。 旭さんの活動の原点は34年前の雲仙普賢岳噴火災害にさかのぼる。1990年11月17日、雲仙普賢岳は198年の眠りから覚め、噴火活動を開始した。当初は新たな観光資源として期待されたが、翌1991年には活動が激化。土石流や火砕流により、多くの犠牲者が出た。 旭さんは、43人が犠牲となった1991年6月3日の火砕流惨事の2日後、仲間と「雲仙岳災害ボランティア協議会」を立ち上げた。これが後の「島原ボランティア協議会」の前身となる。 旭さんは当時を振り返り、「同級生も37歳にして火砕流で亡くなってしまった。このまま島原という街が無くなってしまうんじゃないかという危機感があった」と語る。
全国へ広がる支援の輪
普賢岳の災害から2年後の北海道・奥尻島の地震災害を皮切りに、旭さんは阪神・淡路大震災、有珠山の噴火災害など、各地の被災地に駆け付けた。 2011年の東日本大震災では、長崎大水害や普賢岳噴火災害への支援に感謝を込めて、災害ボランティアバス「ご恩返し号」の運行に奔走した。 旭さんは「それぞれの災害が違う。だからあえて全ての被災地に行って、学んだことを自分たちの町にフィードバックしていこうと、そこで知恵を学んで来ようと思った」と、その姿勢を語る。
防災教育への取り組み
現在、旭さんは「日本防災士会長崎支部」を立ち上げ、災害発生時のリーダー育成に力を入れている。 雲仙市小浜町で行われた市民講座「防災教室」では、「119番がつながらない、つながっても全員出払って救助に来ない。じゃあ誰が助けるのか。自分たちでするしかない」と、自助の重要性を訴える。 参加者からは「自分の命は自分で守る、地域もそう。そういうところが勉強になった」「自分でちゃんと(備えを)しておかないといけないなというのはすごく感じた」という声が上がった。
進化する災害ボランティア
平成の雲仙普賢岳噴火から34年。災害ボランティアも進化を遂げている。屋根の補修ができたり重機の免許を持っていたりする専門的なスキルを持つ人々が被災地に駆けつけるようになった。 そんな中、旭さんの変わらぬ信念は「お互い様の心」だ。「常に相手の立場になってモノを考えてみよう。スーパーヒーローがやってきて助けに来ましたということではなくて、自分が被災者の立場に立って、自分だったらどう思うかなと考える」と語る。 旭さんはこれからも災害ボランティア兼防災士として、地域の安全と防災意識の向上に貢献し続けていく。 (テレビ長崎)
テレビ長崎