巨人・オコエ瑠偉、母校訪問で伝えたかったこと「不登校の子たちも来てくれていた。うれしかった」 自身も病気で学校に行けなかった経験
【球界ここだけの話】自らの過去と重ね合わせ、エールを送った。昨年12月下旬、巨人・オコエ瑠偉外野手(27)は母校、東京・東村山市立第六中を訪問。地元のヒーローの凱旋(がいせん)に大盛り上がりする体育館。オコエの視線の先は、整列する集団から離れて最後方で耳を傾ける数人の生徒たちだった。 【写真】オコエ桃仁花が爆笑エピソード披露 兄・瑠偉に「コノヤロー!」と怒ったわけ 「あまり言っていいのかわからないですけど、不登校の子たちも来てくれていた。自分はどちらかというと、そっちの子たちになにか伝わればいいなと思っていました」 学校へ足を踏み入れたのは卒業以来、約12年ぶり。病気で学校に通えない時期もあったオコエにとって、「大変な思いの方が多かった」場所だった。中学2年時に大腿(だいたい)骨頭すべり症を発症。15センチほどのスクリューを体内に2本入れる手術を受け、その後半年は車いすでの生活を余儀なくされた。多感な時期に周りと違う生活。「年頃なので嫌でした。学校に来たくないなというのもあった。正直、不登校といわれてもおかしくない時期もあったんです。病気を言い訳に」と当時を振り返る。野球をやめようと思ったこともあったというが、小学校時代のチームメートから寄せ書きを受け取るなど周りからの励ましもあり思いとどまった。 東京・関東一高時代、3年夏の甲子園大会で4強入りを果たし、一躍時の人となった。その年のドラフト会議で楽天から1位指名を受け、甲子園のスターとして鳴り物入りで入団。エリート街道を歩んできたと思われる一方、その裏には野球どころか日常生活もままならない時期があった。「普通に野球をやっている人よりもひどい人生だった。やりたくてもやれないし、何もかもうまくいっていなかった」。過去を乗り越えた先に、今の姿がある。 そんな経験があったからこそ、自身の言葉を聴きに体育館へ来てくれた後方の生徒が目にとまった。「逆の立場だったら絶対来ていないです。だからうれしかった」。今現在、苦しい思いをしている人へ向けて慎重に言葉を選ぶ。 「全てがうまくいくことはないけれど、一回そうなると全部マイナスに捉えちゃうのは自分も経験した。うまくいかない時にどうやってそれをひっくり返しに行くかが大事だと思う。今がどん底でも、ここから上がっていくぞという気持ちになってくれればなと」
グラウンドで躍動するオコエの姿に勇気をもらう人も、多くいるはずだ。(原田優介)