「視聴者を舐めるんじゃないよ」と常に言ってきた--ワイドショーを「変えた」小倉智昭が語る、キャスターの矜恃とこれから
「緊急事態宣言を出すよりも、オリンピックを開催したほうが街から人が消えますよ。サッカーやラグビーだって、ワールドカップになると視聴率40%になるでしょ? 日本人は、日の丸を背負って戦うスポーツが好きですから。ただ、今の政権でオリンピックを乗り切れるかという不安はありますね」 高校時代に100メートル10秒9を記録し、浪人中に国体出場を果たした小倉智昭(74)は五輪出場の夢こそ破れたが、キャスターとして8度の取材を経験した。だが、東京五輪目前の今年3月、22年間キャスターを務めた情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)は幕を閉じた。降板の経緯、過激な発言の表裏、ネットニュースへの注文……洗いざらいぶちまけてもらった。(文:岡野誠/撮影:菊地健志/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部、文中敬称略)
誰かが言わないとダメですから
昨年3月上旬、『とくダネ!』放送終了後に局長が直々に小倉の楽屋を訪れた。深刻そうな表情を浮かべながら、「東京五輪を花道に世代交代してもらえませんか」と9月限りでの勇退を切り出した。 「『あ、きたな』と思いましたね。フジテレビが経済的に相当厳しいと聞いていたし、いずれ降板の話が来るだろうと感じていましたから」 帯番組の仕事がなくなれば、事務所にとって一大事になる。小倉は即答を避けた。 『とくダネ!』が始まった1999年4月、午前8~9時台は日本テレビの『ルックルックこんにちは』が首位を走っていた。芸能スキャンダルを中心に扱い、番組開始から30分近くVTRを流す。1970年代後半から続いていたワイドショーの手法は健在だった。しかし、『とくダネ!』は西渕憲司プロデューサーと小倉の意志で、従来からの脱却を目指した。 「ワイドショーを変えたかった。オープニングはVTRじゃなくて、スタジオで話をさせてくれとお願いしました。それに、エンターテインメントを取り上げるならいいけど、芸能人の不倫や離婚って、余計なお世話でしょ? 政治や国際問題もわかりやすく説明する番組にしたかった。リポーターと呼ばれていた人たちを、あえてプレゼンターと名づけて。取材した人が必ずスタジオで話し、僕が『それはおかしい』とか『なんだ、あのVTRは』と突っ込みを入れるスタイルで始まった。最初の頃、プレゼンターは怖がってましたけどね(笑)」 開始から半年後の10月1日、『とくダネ!』は初めて同時間帯の視聴率トップに立つ。そして、2001年2月から8年以上、月間首位に君臨。この成功で、他局も政治ネタを扱うようになる。時の小泉純一郎首相が主婦層からの人気を集めたことも一つの原因だった。だが、決して政権におもねらなかった。 「別に小泉総理を嫌いではなかったけど、支持率90%っておかしいでしょ? 『このままなら独裁国家になるよ』って常に言ってましたね。日本人はメディアも視聴者も、褒める時はこぞって褒めるけど、叩く時は寄ってたかって叩く。だから、僕は極端に傾くことに対して、おかしいと声を上げる。誰かが言わないとダメですから」