『魔女の宅急便』から『リトル・マーメイド』『水星の魔女』まで──「魔女像」の変遷が映し出すもの
恐れと差別はコインの表裏ーー悪役魔女が再び増えている
しかしここ数年、創作の中で悪役としての魔女があらためて増えているように思える。『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之監督、2011年)で魔女が魔法少女の成り果てる先として描かれたのは、その幾分か早い変化の先ぶれだったのかもしれない。 マーベル・シネマティック・ユニバースの『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(サム・ライミ監督、2022年)で活躍するヴィラン(悪役)はスカーレット・ウィッチと呼ばれる女性で、その名の通り彼女は魔女でもある。 彼女はもともとワンダとしてヒーローたちとともに戦っていたのだが、ドラマシリーズ『ワンダヴィジョン』(ジャック・シェイファー、2021年)で、魔力で生み出した自身の子どもたちを失ってしまう。それを受けて『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』では、ワンダは恐るべき魔女スカーレット・ウィッチとなり、彼女は並行世界の自分が育てている子どもを奪い去り自分のものにしようと試みる。スカーレット・ウィッチはそのために次元と次元のあいだのつながりを壊し、次元を守ろうとするヒーローたちを次々に血祭りにあげていく。 彼女は他者の家族を破壊しようとする点で、クラシカルな魔女たちと共通するところがある。子どもをさらう魔女というのもある種の類型の一つだし、子どもを亡くしたことで社会規範から外れていく母親、というのもありふれた表現だ。彼女を演じるエリザベス・オルセンの演技は見事だけど、スカーレット・ウィッチの魔女像は従来の悪役としての魔女像から大きく外れないものだった。 ディズニーの実写版『リトル・マーメイド』(ロブ・マーシャル監督、2023年)も魔女の描写という点では古典的な描写を見直すことなく、そのまま受け継いだ作品だ。魔女のアースラは王族を追放され、王権を手に入れるべく策謀を巡らせ、王トリトンの娘アリエルに契約を持ちかけるが、最終的には彼女の陰謀は破綻し「魔女め!」と罵られる。 アースラがゲイたちから生まれた女性装のカルチャー、ドラァグ・クイーンの引用をしていることを考えると、この保守性にはかなりたじろいてしまう。原作となるアニメ版のアースラは1980年代に活躍したドラァグ・クイーンのディヴァインをモデルにしているとされるし、実写版でアースラ役を演じたメリッサ・マッカシーもインタビューでドラァグ・クイーンを演技の参考にしたと語っている。アースラの魔女性とは、そうした性別規範や異性愛規範から逸脱した文化を参照することからも来ている。 その魔女像は魅力的でもあるが、実写版においてもアースラがヴィランとして終わることで、結果的には魔女への恐れと侮蔑のイメージがゲイやトランスジェンダーのイメージに対する恐れとも結びつき続ける結果になってしまっている。女性への差別は、ゲイやトランスジェンダーへの差別とも重なり続けてきた。セクシュアルマイノリティのイメージを引き継ぐ魔女が物語の中で罰を受けるのはとても象徴的に見えてしまう。 『リトル・マーメイド』の魔女はそのような差別の重なりを観客に思い起こさせる。 これらの魔女たちの描かれ方は、奪われてしまった何かを求める女性を罰しているようでもあり、恐れているかのようでもある。彼女たちは家制度の犠牲者としても語られるが、同時に彼女たちは自身の性格のために愚かな手法をとったともされる。物語の中では彼女たちの怒りの原因にはあまり目が向けられず、彼女たちの性格やその手段のおぞましさにだけ焦点があてられる。 こうした恐ろしく愚かしい魔女像と、植民地主義や家父長制の犠牲者でありそれに反抗するものとしての魔女像を組み合わせたのが、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(小林寛監督、2022~2023年)だ。 『水星の魔女』での魔女とは男性中心の資本主義社会によって禁じられた技術を用いる女性たちのことでもある。彼女たちは往々にしてテロリストとなり、悪役として立ち現れるが『水星の魔女』は彼女たちが搾取されてきた様子やその怒りの正当性も描き出す。 ただ『水星の魔女』で示されるのも、犠牲にされた人が加害者になり「魔女め!」と罵られる様だ。家制度や男性中心の社会で犠牲になった人々が力を求め、怒りを露わにするときに、規範を逸脱した魔女として恐れられ貶められる。 近年の作品で描かれるそうした魔女には、どうしても現実の社会における女性に向けられる批判を思い起こさずにはいられない。