『魔女の宅急便』から『リトル・マーメイド』『水星の魔女』まで──「魔女像」の変遷が映し出すもの
押し付けられたレッテル、そして名乗りでもある
こうした魔女のイメージを、私たちは童話の中にたくさん見てきた。そうした物語に出てくる魔女たちは、王や王の娘に呪いをかけ、子を産めなくさせたり、殺したりし、子どもをさらい、あるいは恋の仲を引き裂いていく。 ディズニー映画でもこうした魔女は描かれてきた。『眠れる森の美女』(1959年)のマレフィセントはその代表例だろう。マレフィセントは王の娘に呪いをかけ、王族の家系を終わらせる。そこには子どもを産み育む女性という押し付けに逆らった女性たちが、魔女と呼ばれたことの痕跡がある。 また一方で魔女たちのイメージは、抑圧された女性や力ある女性としてフェミニストたちのシンボルになることもあった。1960年代後半、「W.I.T.C.H」はウォール・ストリートを占拠し、資本主義に対する抗議を行なったフェミニズム運動で、その名前はWomen’s International Terrorist Conspiracy from Hell(地獄からやってきた女たちの国際テロリスト陰謀団)の頭文字をとったものだという。実際にほうきやとんがり帽子など、魔女っぽい服を着て抗議した彼女たちの活動はユーモラスなものでもあった。 現代において魔女として宗教活動を行なう人たちも、フェミニズム的な運動を行なうことが少なくない。魔女がイメージとしての魔女から、儀式を行ない、組織を持つ、一種の宗教活動としての魔女という実態を持っていくなかで、魔女たちは次第に社会運動にも参加していく。スターホークが提示した反核運動に参加するような魔女像はその代表例だし、Instagramなどでフェミニズムと魔女を掛け合わせた活動を行なう若い世代も増えている。 魔女とは押し付けられたレッテルであり、その歴史を踏まえた名乗りでもあるのだ。
再構築される物語の魔女像。現代でどう変化した?
近年の映画などのメディアでも、魔女の像は少しずつ変化してきている。先述したマレフィセントも彼女を主役にした映画『マレフィセント』(ロバート・ストロンバーグ監督、2014年)がつくられ、かつての呪うべき魔女としての像から大幅に再構築されたマレフィセント像が提示された。そこではマレフィセントは王権によって攻撃され、傷つけられた存在であり、また自身が呪ったはずのオーロラとのあいだに深いつながりを育み、真実の愛をもたらす役割を担う。魔女のマレフィセントが資源を収奪される側として描かれるのも、大きな変更点だ。 大ヒットした映画『アナと雪の女王』(クリス・バック、ジェニファー・リー監督、2013年)もそうした映画の一つだろう。アンデルセンの『雪の女王』(1844年)をベースにしたとされるこの映画では、かつての若い男女の仲を切り裂く孤独な女王は、女性同士の絆や女性の独立性を描く物語の主人公として再想像された。 どちらの作品でも原作では家族の再生産を断ち切る存在であった女性が、女性間の深い愛情に支えられる存在として描き直されているのは興味深い。女性の友情や愛情も、現代的な魔女像の重要な要素の一つだ。 また日本では『魔女の宅急便』(宮崎駿、1898年)を始め、『おジャ魔女どれみ』(1999年)など社会の中に溶け込んでいたり、日常の近くにある存在としての魔女がアニメーションで描かれてきた。そこでは若い女性が主人公となり、魔女を目指す過程で人間的な成長を遂げていく。こうした魔女は掟に従わなければならない点で厳しくもあるが、成長や成熟と結び付けられ、憧れとともに眼差されもする。