【「夕刊フジ」休刊で岐路に立つ夕刊紙】 「日刊ゲンダイ」寺田俊治社長インタビュー「 “大新聞が書かない本当のこと”を書く。これが原点です」
「世界中のどこにもない媒体」
寺田社長自ら言うように、日刊ゲンダイ最大の特長は連日1面から2面にかけて展開される政権与党批判、常に大上段に振りかぶった長い見出しである。例えば石破茂首相の写真の横に「何から何まで『邪』の極み」「見たこともない延命バラマキ亡国補正」(2024年11月26日付)、「衆参W選挙浮上自民狂乱」「国民は口をアングリだ」「石破自民党の二枚舌」(同12月10日付)などなど。 今時、このように激烈で、ある意味、えげつなくも感じられる言葉を使っている紙媒体は他にない。が、この見出しに象徴される紙面作りこそが、日刊ゲンダイのニーズの源だと、寺田社長は力説する。 「これからどうやって生き残るかという話をするなら、やっぱり、ウチは夕刊フジとはメディアとしての主張や在り方が根本的に違うんだ、という認識が根底にあるんですよ。3つの夕刊紙のうちの一つという位置づけではなく、日刊ゲンダイは世界中のどこにもない媒体なんだというつもりでやっている。そもそも、1975年の創刊時の方針が、大手新聞は全く本当のことを書いてない、何を伝えるのにも通り一遍の書き方で済ませて、全然真相に迫ってないじゃないかと。そこを突くことに週刊誌の役割があるんだけど、出せるのは週に1回だけ。それなら毎日、週刊誌のような雑誌を出してやろうと、そう考えた人たちが日刊ゲンダイを作ったわけですから」
「乞食になる覚悟はあるのか」
夕刊フジが「大手」の産経新聞社が出した夕刊紙だったのに対し、日刊ゲンダイは出版社の講談社が発行する「日刊雑誌」として発足した。創刊時は同社専務取締役の野間惟道氏が出向し、日刊現代の社長に就任。週刊現代編集長として100万部時代を築いた川鍋孝文氏が編集局長として現場の陣頭指揮に当たった。私が入社した1986年、野間氏は講談社に社長として復帰し、川鍋氏は社長に昇格していた。社長室での最終面接で、川鍋氏にこう言われたことは今も忘れられない。 「ウチの記者なんてのは乞食だぞ。乞食になる覚悟はあるのか」 日刊ゲンダイの記者は、大手新聞のエリート記者とは違う。地べたを這いずり回って仕事をしなければならないんだぞ、という念押しだったのだろう。私がそんな思い出話を振ったら、寺田氏は苦笑いを浮かべて言葉を継いだ。 「あのころ、日刊ゲンダイが訴えてきた大手メディアに対する不信感は、ひょっとしたら当時より現在のほうが強いかもしれない。SNSに投稿されている人たちの声を見ていると、そういう大衆の意識を強く感じます。だから、斎藤兵庫県知事の再選だとか、今まで考えられなかった事態が次々に起こっているんでしょう。つまりね、今SNSで人々が大メディアに対して『これ違うんじゃないか』『マスコミはおかしいぞ』と言っていることは、ウチが50年前に始めたことなんだ。そんな声が飛び交うようになって、現代の言論状況はますます荒れつつある。だから、創刊以来、アンチ大メディアの論陣を張ってきたウチのコンテンツには根強い社会的なニーズがある。われわれは夕刊紙というよりも、いろいろなデバイスを使って発信を続けるコンテンツプロバイダーなんですよ」