中学で不登校。中卒でアルバイトを渡り歩き、ハリウッドセレブへ…「ともにゃん」の生き方
労働をするとお金が貯まり、好きなものが買える
――卒業後は通信制の高校に進学しましたが、すぐ中退して、アルバイト三昧の生活を送ります。 ともにゃん「労働するとお金が貯まり、お金が貯まれば好きなものが買えます。だからバイトは頑張りました。親も言えばお金をくれるでしょうけれど、勉強をしていないのに、お金をもらうのは気が引けて。稼いだお金で買ったのは、当時大ブームだったD&Gの服やディオールの小物、カルティエの時計などです。月15万円ほど稼いでいたこともありました。 小売店、飲食店、テレアポなどあらゆる仕事をしましたが、向いていないと続かない。そんな僕が、長く続いたのはアパレルの仕事です。正社員になって25歳まで働きました。この経験で気づいたことは、僕は正解がないことが好きなんだということ。 例えば、マネキンに服を着せるのにも、『このトップスに、このボトムを合わせて、アクセサリーはこれで』という正解はない。さらに組み合わせ一つで、売上が変わるんです。そういうことも面白かったですね。 転機は26歳の頃、フレグランスの商品を作っている会社に参画し、企画からデザイン、生産、販売までを一人で担当。『ものづくりは楽しい』と心から思えました。ここでの経験が、30歳の時に立ち上げた、浮き輪ブランド『pucapuca』につながっています」
水原希子さんも愛用した浮き輪が大人気
――ともにゃんが立ち上げた『pucapuca』は、2016年夏に貝殻モチーフの「シェルフロート」で鮮烈にデビュー。これまでこの世になかった巨大な浮き輪は、Instagramであっという間に拡散。水原希子さんなど人気モデルが愛用し、20以上のファッション誌が取り上げ、「ナイトプール」ブームの火付け役にもなりました。 ともにゃん「もともと浮き輪が好きだったので、作ってみようと思ったのです。でも、商品開発は本当に大変でした。製造会社さんを探し、何度も試作を重ねて苦労して世に出しても、あっという間にコピーが作られてしまう。コピー品を販売するサイトの中には『pucapuca』の写真を使っているものもありました。 でも、目の前で自分の作ったものが『バズる』という稀有な経験ができました。撮影中に編集さんがタグをつけて投稿する。それがあっという間に広がっていくんですから。1期目のシェルフロートは瞬く間に完売。ただ、2期目のレインボーフロートを出した頃には、大手メーカーが似たようなデザインの大きな浮き輪を出しているんです。もちろん、そっちの方が安いから、こっちが売れ残ってしまって。 あと、ブランドを続けることは大変です。やる以上は、毎シーズン展示会を行い、新商品を出さねばならない。作ったものが高速で消費されていくサイクルに入り、スケジュールに追われていると、自分の現在地がわからなくなるんです。それどころか、方向性も見えなってしまって。そんな状態をリセットしたいと思って、会社をたたみました」