ファジアーノ岡山を昇格PO決勝へ導いたJ1で出番を無くした男達
埼玉県浦和市(現さいたま市)で生まれ育った22歳の矢島は、ジュニアユースから浦和レッズで心技体を磨き、大きな期待を背負って2012シーズンにトップチームへ昇格した。 しかし、厚い選手層のなかで、なかなか試合に絡めない。リーグ戦の出場がついにゼロで終わった3年目のオフ。生まれ変わりたいという一念で、オファーを受けた岡山への期限付き移籍を決めた。J2でプレーすることに、何ら迷いはなかった。 「浦和でも向上心がなかったわけではないんですけど、やはり試合に出ることで生まれる課題というものがあると思うので」 当時のポジションは攻撃的MF。ロングボールが上空を行き来する展開が多いJ2では、なかなか持ち味を発揮できない。ターニングポイントは昨年7月。長澤徹監督の発案でボランチにコンバートされると、ピッチの上で持ち前の高度なテクニックを存分に発揮できるようになる。 期限付き移籍を延長した今シーズン。背番号が「24」から「10」へと変わったことが、岡山で確固たる居場所を築いたことを物語る。リオ五輪代表にも選出され、本大会ではゴールも決めた。 成長著しい矢島を、松本を率いる反町康治監督も「パスの出し手としてだけでなく、フィニッシュの部分でもJ2では飛び抜けている」と警戒。厳しいマークの監視下に置かれたなかで、土壇場で決定的な仕事を演じてみせた。 矢島と同じ1994年に生まれた豊川は、熊本県の強豪・大津高校から2013シーズンに鹿島アントラーズ入りした。しかし、リーグ戦では3年間でわずか2ゴール。目標に掲げていたリオ五輪の代表入りのために結果を求めて、今シーズンから岡山の一員となった。 33試合に出場して先発は9度だけだったが、いわゆるスーパーサブとして短い時間で集中力を最大限に発揮。残念ながらリオ五輪出場はかなわなかったが、チーム2位となる10ゴールをゲットした。 9月の天皇杯3回戦では“古巣”の鹿島と対戦。高校時代からの盟友で、ハリルジャパンにも選出されているDF植田直通は、豊川の変化に「脅威を感じた」と試合後に打ち明けている。 「オレがゴールを決めてやる、という強い気持ちをアイツが一番持っていた。試合中はずっと『オレにパスをよこせ』と声も出していた。岡山ではジョーカー的な役割を任されて、試合で結果も残していることで、そういう意識の部分が変わってきているのかなと」