石破茂からの直電「どうして高市なんですか」…勝率なんと89%《都知事選石丸旋風》に貢献した「選挙の神様」が自民党総裁選で「高市早苗」を推した理由
選挙プランナーとしての矜持
これまで関わった選挙戦は130勝16敗。人呼んで「選挙の神様」。選挙プランナーで藤川選挙戦略研究所の代表を務める藤川晋之助氏(71)のことだ。永田町では知られた存在だったが、いまや一般的にもその名が浸透しつつある。きっかけは7月の都知事選で大躍進した石丸伸二氏(42)の選挙参謀を務めたことだ。 【写真】再選後初のロングインタビューに答える齋藤知事 前編記事『立花孝志は「僕は信長、秀吉、家康を一人で演じる男」と言い、石丸伸二は自分とナポレオンを比較した〈「選挙の神様」藤川晋之助インタビュー〉』に引き続き、藤川氏の選挙プランナーとしての矜持、「選挙の神様」と称されるまでの波乱万丈の人生を明かす。 「都知事選の影響は大きく、政治家志望の若者が相談に来るようになりました。また、こうした取材も一気に増えました。ただ、私の名前が出たのは意図したものではありません。本来、我々は黒子であり、目立つべきではない。いいことも悪いことも墓場に持っていく。これが選挙プランナーの仕事です。 石丸陣営は人が足りず、私も本意ではないがマイクを持つことになりました。その姿を一般の方が撮影しYouTubeなどネットで拡散された。SNS時代だからこそ、こうして名前が世に出てしまった面はあります。同時に、いろいろ誤解されるだろうなと思いました」
「政界の伏魔殿」に事務所を移転
かつて自民党の金丸信元副総裁ら政界の大物が事務所を構えた「パレ・ロワイヤル永田町」に事務所を移転した。 「金丸さん、村上正邦元自民党参議院議員会長らの事務所があり、『政界の伏魔殿』とも呼ばれました。私にとって昔から憧れの地です。いまの時代、無味無臭ばかりで面白くない。私は善人にしか見えないでしょうから、悪党になろうと(笑)。パレ・ロワイヤルに事務所を構えたらそういうイメージがつきますからね」 移転の理由について冗談交じりに明かす藤川氏のその歩みは波乱万丈だ。出身は大阪市。中学生の頃、東大安田講堂事件をきっかけに政治に目覚めた。当時はベトナム戦争真っ盛り。当初は反米だったが、高校に進学すると民族派学生組織のひとつである日本学生同盟に入った。 「大阪府の代表を務めました。当時はテロの時代が来ると本気で考えており、『俺の人生は30歳まで続かないだろう』とテロの練習をしていました。いわゆる危険人物です。公安に毎日追いかけられ、よくカレーライスをご馳走になっていました(笑)。 高校時代は三島由紀夫に『楯の会に入りたい』と直談判したことがあります。ところが、『大学生じゃないとダメだ』と認めてもらえず、かねてより憧れていた国士舘大学に進学し、右翼活動を続けました」