明治時代に廃止の危機にあった相撲、土俵際で一転「国民の娯楽」に変えたある契機とは
明治初期に訪日した米国人夫妻が新婚旅行のお土産として買い求めた写真から
力士は明治初めの土産用写真で定番の被写体だったが、名前はなかなかわからない。「化粧まわしからわかることもあります」と教えてくれたのは、日本カメラ博物館の古写真研究員の井桜直美さん。 ギャラリー:140年前のニッポン新婚旅行 左から2番目の力士が締める、円を組み合わせた化粧まわしが気になった。日本相撲協会の『日本相撲史』を調べると、これは桑名藩のお抱え力士が使ったまわしだという。江戸時代、ひいきの力士を家臣として取り立てる藩があったのだ。この力士は、明治4年11月の興行で前頭に名を連ねた荒馬大五郎らしい。その後、四海波(しかいなみ)に改名、幕内上位を保ち、明治12年6月の興行を最後に引退した。 この写真が撮られた頃、相撲を旧時代の蛮風と見なし、廃止しようという動きが高まっていたという。それに対し、相撲界は改革を進める。千秋楽だけに限られていた女性の見物が、明治10年に全面解禁されたのもその一環だ。その後、明治17年の天覧相撲を契機に、相撲が国民の娯楽になっていったといわれる。 令和のインバウンド客は相撲が好きなようだ。大相撲中継で彼らの姿をよく見かけるし、相撲がテーマのツアーなども人気らしい。初場所では、どんな熱戦が見られるだろう。 ※ナショナル ジオグラフィック日本版1月号「連載:おみやげジャパン」より。
大塚 茂夫(ナショナル ジオグラフィック日本版)