「辛くなったんです。だから29歳で止めた」直木賞作家・大沢在昌が明かしたデビュー作への想い
■佐久間公の新作を書くとしたら──遺作だな(笑)
──1987年の長篇『追跡者の血統』をもっていったん佐久間公ものは中断されます。それはなぜだったのでしょうか。 大沢:一人称の〈僕〉で若者を書くのが辛くなったんです。だから29歳で止めた。そこからは、大人のハードボイルドを書こうと。1996年に『雪蛍』で再登場させたときに、公の一人称は〈私〉に変えています。次の『心では重すぎる』は重い内容で大変だったんだけど、これを終えないと自分の中で佐久間公に決着がつかないと思って書き切りました。今でも「佐久間公の新作を」と待ってくださる方が多いのはありがたいことですね。 ──もし、再開するとしたら、公にはやはり歳を取らせなくちゃいけないですか。 大沢:取らせると思います。実は、公が出る「無辺の夜に生きる」という短篇を前半だけ、講談社の小説誌「小説現代」に書いたことがあります。東日本大震災について自分が何かできないか、ずっと考えていたことを絡めて書いたんですけど、体力的に辛かった。公も年齢を重ねて変わっているから、今の彼を自分なりに理解しないと始められないですよね。難しい。 ──でも読んでみたいですね。今回の初期作品も、若い方には私立探偵小説の原風景として読まれるんじゃないかという気がします。だから新しい佐久間公も機会があればぜひ。 大沢:じゃあ、遺作だな。私の絶筆はたぶん、佐久間公になりますよ(笑)。そのくらいの寛大な気持ちで考えていただければ。 *** 大沢在昌(おおさわ・ありまさ) 1956年名古屋市生まれ。79年「感傷の街角」で第1回小説推理新人賞を受賞し、デビュー。86年「深夜曲馬団」で第4回日本冒険小説協会最優秀短編賞、91年『新宿鮫』で第12回吉川英治文学新人賞、第44回日本推理作家協会賞、94年『無間人形 新宿鮫4』で第110回直木賞、2001年『心では重すぎる』、02年『闇先案内人』と連続で日本冒険小説大賞、04年『パンドラ・アイランド』で第17回柴田錬三郎賞、06年『狼花 新宿鮫9』で日本冒険小説協会大賞、10年に第14回日本ミステリー文学大賞、12年『絆回廊 新宿鮫10』で日本冒険小説協会大賞、14年『海と月の迷路』で第48回吉川英治文学賞を受賞する。2022年、紫綬褒章受章。近刊に『黒石 新宿鮫12』『予幻』『魔女の後悔』などがある。 [文]双葉社 協力:双葉社 COLORFUL Book Bang編集部 新潮社
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