1年で1万5000キロ移動する「蝶が直面」する、気候変動の脅威
ヒメアカタテハ(学名:Vanessa cardui)は、比類なき旅行者だ。春の訪れとともに、この不屈の小さな蝶は、苦難に満ちた旅に出る。旅の終わりには、2つの大陸を股にかけた1万5000キロメートルの移動を完遂する。それもたった1年のうちに。 【写真】「1年で1万5000キロ移動」する蝶 この種の渡りは、昆虫界で最長クラスであり、世代を超えた協働の賜物だ。ヒメアカタテハは10世代をかけて大地と海を越え、故郷に戻る。つまり、気まぐれな季節の変化に呼応して移動する故郷に、だ。 この長い旅は複数世代で実現されるものだが、ヒメアカタテハは、悠久の昔から繰り返されるこのサイクルを続けている。気候変動によって、世界の気象条件がますます苛烈になるなかで。 ■ヒメアカタテハは、渡りながら繁殖する ヒメアカタテハを渡りに駆り立てるのは、季節の変化と、繁殖と生存に適した生息地を見つけるというニーズだ。サハラ以南アフリカを出発したヒメアカタテハは、中東と北アフリカを経由してヨーロッパに至り、秋には再び南への帰路につく。 ヒメアカタテハは、サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地帯やスーダンのサバンナなど、雨季に繁殖するサハラ砂漠以南のアフリカ大陸およびアラビア半島の南部を含む地域で季節的な渡りを始める。 乾季が近づくにつれ、ヒメアカタテハは、はるか南のガーナ、ウガンダ、ケニアといった地域まで移動する。雨量の多い土地を目指す彼らを導くのは、太陽と風だ。彼らは渡りの途中で繁殖し、新世代が旅のバトンを受け取る。 春になると、ヒメアカタテハは北に向かう。途中には、中東の砂漠やヨーロッパの山脈といった過酷な環境が待ち構える。彼らの最終目的地は温帯にあり、そこで植物の開花の恩恵にあずかる。 秋が近づくにつれ、ヒメアカタテハは再び南へと戻る旅を始める。引き金になるのは、気象条件の変化と食料供給の逼迫だ。
ヒメアカタテハの驚くべき強靭さの理由
■ヒメアカタテハの驚くべき強靭さの理由 ヒメアカタテハの渡りは、一見したところ途方もない苦行だ。しかしこの蝶は、旅の途中で遭遇するあらゆる困難を乗り越えられるだけの特質をそなえている。 ・移動しながら土地に適応:多くの種の蝶は、特定の食草に依存するが、ヒメアカタテハは多食性で、さまざまな種類の植物を餌として利用できる。こうした柔軟性のおかげで彼らは、アフリカのサバンナからヨーロッパの牧草地まで、多様な環境を利用できる ・太陽とともに移動:ヒメアカタテハは渡りのあいだ、太陽コンパスを利用して、進むべき方角を見つける。太陽の位置に応じて飛行ルートを調整するのだ。この能力により彼らは、広大なサハラ砂漠や、アルプス山脈の急峻な連峰といった過酷な地形を超えていく ・好機を逃さない:気象条件の変化に伴い、普段は乾燥した地域でも、突発的に降雨が発生することがある。このような場合、突如として繁茂した植物を利用しようとして、ヒメアカタテハが大挙して飛来する。時には、このような気象現象が大移動を引き起こし、数百万匹の蝶の大群が土地を渡っていく圧巻の光景が繰り広げられることもある 加えて、世代を超えた渡りは蝶では珍しくないとはいえ、ヒメアカタテハの渡りのサイクルは、実に10世代をかけて完遂される。繁殖サイクルが短いおかげで、ヒメアカタテハは移動しながら次々に新天地に定着し、いつでも渡りを引き継ぐ次世代が待機している状況を維持できるのだ。 ■気候変動がもたらす暗雲 ヒメアカタテハは、高い適応能力と、世代を超えた渡りという驚くべき強靭さを備えた蝶ではあるが、気候変動の影響により、旅を混乱させかねない新たな問題に直面している。 最も懸念されるのは、渡りのタイミングとルートの変化だ。ヒメアカタテハは、気温や降雨量など、環境中の特定の手がかりに基づいて渡りを開始する。気候変動によってこうしたパターンが乱れてしまうと、渡り開始のタイミングと、渡りのルート上で利用できる食料とのあいだのミスマッチに直面するかもしれない。 加えて、気候変動によって、渡りの距離が長くなる可能性もある。従来の繁殖地の環境が好適なものでなくなれば、ヒメアカタテハは、より良い環境を求めて、さらに遠くまでの移動を強いられるかもしれない。 2021年6月に米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された論文は、ヨーロッパとアフリカの全域で降雨パターンが変化していることも、ヒメアカタテハの渡りに重大な影響を与える可能性があると指摘している。さらに、嵐や干ばつといった異常気象は、渡りのルートを断絶させ、重要な繁殖地を破壊するおそれがある。 気候変動が世界の生態系に影響を及ぼしつづけるなか、ヒメアカタテハが驚異の大移動を続けられるかは不確かだ。彼らの強靭さと適応能力は折り紙付きだが、気温上昇と、気象パターンの変化によって激変する世界のなかで、彼らはますます苦難の旅を強いられるかもしれない。 大陸を超え壮大な旅をする、この驚異の蝶の生態を理解し支えていくには、継続的な研究と保全努力が不可欠だ。
Scott Travers