40歳で5歳の娘を連れてアメリカ留学 出版社から女性教授に 「人生に回り道はない」
40歳で、5歳の娘と共にアメリカ留学
中学生のころから「英語って面白い、話せるようになってみたい」と考えていた今井教授は、大学在学時から横浜港で港湾用語を駆使した通訳ボランティアを経験しましたが、ターニングポイントになったのは、英文誌を発行する出版社に就職したことでした。 「それまでは、だれかの言葉を翻訳して伝えるだけでも喜びを感じていましたが、アメリカの研究者やビジネスマン向けの論文などを出版する会社で働き、プロによる質の高い英語に触れたことで感覚が変わりました。単に英語を使うだけでなく、『英語を使って何をすべきか』ということが、何となくわかってきたのです」 1998年の長野五輪組織委員会に派遣されたときには記者に対する広報活動や通訳を担当し、国際社会の多様性とそこで戦略的に発信することの重要性を体験しました。 自分が作っている雑誌を読んでいるのはどんな人たちなのか、実際に見てみたい。出版社で扱っている内容をもっと詳しく知りたい。そんな思いが高じて、今井教授は40歳になってから、フルブライトプログラムでアメリカの大学院であるハーバード・ケネディ・スクールへの留学を決めました。 「もっと若い頃に留学すればよかったと思うところもあります。でも、『アメリカに行って何を勉強するのか』ということが自分の中で定まるまで、私には時間が必要でした。遅ればせながらという形になりましたが、その分、無駄なく濃密に学ぶことができたと思います」 当時5歳だった娘も連れて渡ったアメリカで、「普通に日本で仕事をしていたら知ることができなかった多くのことを得た」と今井教授は言います。例えば、すべてが有償サービスであるアメリカに比べ、日本の子育て支援制度は充実していることや、「助けて」と声を上げなければ周りの人たちのサポートは得にくいこと。そして「英語は専門分野だと思っていたのに、最初はまったく授業に参加できなかった」ことも経験しました。 「英語がわからないわけではないのに、まるで大きな水槽の前に立っているみたいでした。魚の群れが通り過ぎていくのをただ眺めているようで、悲しくて落ち込みました。だから海外の大学との合同授業で、学生たちがどんな気持ちを味わっているか、私もよくわかるのです」