問われる「芸術か、わいせつか」、禁書の世界──地下流通、蒐集家、司法との闘い
大江健三郎、大岡昇平、遠藤周作などが澁澤瀧彦を弁護しサドの文学性を熱弁
とはいっても、サドが変わり者であることは間違いなく、今も昔も彼の作品が危険視されているのも事実だ。先日、デヴィッド・フィンチャー監督の『セブン』(1995年)を見返したのだが、連続猟奇殺人事件を起こした犯人の読書リストのなかに、サドの著書が含まれているなんてエピソードがあった。 また『サド侯爵の呪い』には、英国で起きたムーア殺人事件の犯人イアン・ブレイディとマイラ・ヒンドリーのカップルが登場する。このふたりは1963年から1965年にかけて、少年少女を惨殺し、遺体をサドルワース・ムーアの荒野に埋めたことで知られる。 この事件の裁判でブレイディが、サドの『ジュスティーヌ』や彼の生涯や思想に関する本を読んでいたと証言したことが注目を集めた。裁判のあと、英国はサドの全著作の出版および輸入を禁止し、以後、30年以上この禁止令は解かれなかった。ブレイディとヒンドリーに興味のある方は、エドワード・ゴーリーの『おぞましい二人』もおすすめだ。 エロティカの扱いは日本においても厳しく、「芸術か、わいせつか」の議論が長くなされている。特に有名なところでは、チャタレイ事件だろう。この完訳版が伊藤整による翻訳で1950年4月に出版されたが、同年5月には警視庁当局に目をつけられ、出版社の倉庫ばかりでなく店頭からも押収された。東京裁判所は、発行人に対し罰金25万円を科し、訳者には罰金10万円を科した。 それから時を経て、1996年に『完訳チャタレイ夫人の恋人』が出版されるのだが、そのときの訳者、伊藤礼が、裁判後に出版された以前の版(伊藤整訳)を確認したところ、なんの言及もなく原書から削除された箇所は10箇所あまり、ページ数にして70~80ページはあったと述べている。ただ、伊藤整はすでに他界しており、そのときの経緯は確かめようがないそうだ。 日本におけるサド裁判は、チャタレイ事件から3年後に起こった。サドの『悪徳の栄え』が押収され、裁判沙汰になったのである。このとき、訳者の澁澤瀧彦は有罪判決を受け、7万円の罰金刑を受けた。 ただ、澁澤本人はまったく意に介しておらず、話題づくり程度に捉えていたようだ。このときの裁判には、澁澤と交流のある大江健三郎、大岡昇平、遠藤周作などが証人として法廷に立ち、サドの文学性を熱弁して弁護したという。 『サド侯爵の呪い』の第13章「聖サド」では、サドは聖人か否かという問題に焦点を当てている。実際、さまざまな知識人たちがサドを擁護した。『サドは有罪か』を書いた哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、サドが個人の自由について重要な問いを提起したと主張しているし、なかには先駆的なフェミニストと考える人もいる。 ただ、『ソドムの百二十日』には残虐極まりないエピソードが盛りこまれていることも、その巻物をめぐって人生を翻弄された人がいるということも、紛れもない事実だ。そのあたりは、『サド侯爵の呪い』に書かれているのでぜひ。みだらな魅力をまとわせた禁書や奇書とうたわれる作品には、読者をまどわす力があるのだろう。 今回までの全3回で翻訳こぼれ話を書いてみて、あらためて、充実した内容の本だなと思った。『サド侯爵の呪い』のあとがきにも書いたが、サドの生涯だけでも書けばきりがないほどネタに困らないエピソードが満載だというのに、この連載でお届けしたような話がコンパクトに、しかし効果的に差しはさまれている。 『ソドムの百二十日』の巻物は安住の地を求めて長くさまよい続け、その先々で人々を翻弄した。最終的には、フランス政府によって455万ユーロで購入され、現在は国宝に指定されている。ここに至るまでの巻物の旅の過程は、ぜひとも『サド侯爵の呪い 伝説の手稿『ソドムの百二十日』がたどった数奇な運命』を読んでいただきたいと思う。どうか楽しんでいただけますように。 【参考】 『ユリイカ 特集=サド 没後二〇〇年・欲望の革命史』(青土社、2014年9月号) 著者不詳、佐藤晴夫訳『我が秘密の生涯I』(ルー出版、1997年) ジョン・クレランド著、吉田健一訳『ファニー・ヒル』(河出書房新社、1997年) 鹿島茂『パリ、娼婦の館』(角川学芸出版、2010年) エドワード・ゴーリー著、柴田元幸訳『おぞましい二人』(河出書房新社、2004年) 現代思潮社編集部『サド裁判 上』(現代思潮社、1963年) ロレンス著、伊藤整訳/伊藤礼補訳『完訳チャタレイ夫人の恋人』(新潮社、1996年) www.lep.co.uk/lifestyle/raunchy-story-behind-lancashire-book-fanny-hill-which-sparked-police-raids-in-the-1960s-142137 bungaku-report.com/blog/2021/06/11-1023.html www.jfsribbon.org/2014/08/blog-post.html artandpopularculture.com/Kruptadia shosetsu-maru.com/essay/shibusawa-tatsuhiko2
文=中西史子+金原瑞人